開戦直後の連戦連勝とは打って変わり、1942年6月のミッドウェー海戦の大敗、1943年2月のガダルカナル島からの撤退と、太平洋戦争の進捗にともなって日本の敗色は日増しに濃くなっていた。そこで海軍は1943年4月、熾烈な消耗戦の様相を呈し、劣勢に立っていたソロモン方面での戦局の挽回を賭けた一大航空攻勢を計画。「い」号作戦と命名されたこの戦いの陣頭指揮に加え、最前線基地の視察と将兵の慰労を兼ねて、連合艦隊司令長官山本五十六大将は、同方面における日本海軍の戦略中心となっていたニューブリテン島ラバウルに降り立った。

「い」号作戦は、出撃した航空隊からの報告などを総合した結果、日本側も大損害を受けたものの、それに見合った大戦果をあげたと判断された。だが実際には、多数の航空機と搭乗員を失った日本側の負け戦であった。一説では、山本長官は日本側の戦果誤認を当初からある程度察していたともいわれる。

 こうして「い」号作戦が終了すると、山本長官と連合艦隊司令部一行は本拠地であるトラック島に戻る前に、当初からの予定であった最前線の視察と現地将兵の慰労に向かうこととなった。そこで13日、長官一行の視察日程を伝える超機密電文「NTF機密第131755電」を、海軍D暗号(アメリカ軍名称JN‐25)で波一号乱数表を用いて関係各方面に発信した。日本海軍は自分たちが使用している暗号に絶大な信頼を置いていたが、実はアメリカ側はすでに解読しており、逆に日本側が暗号を変更して再び解読できなくなるのを恐れて、解読の事実を日本側に知られないよう配慮していた。