イラスト/フォトライブラリー

前回に引き続いて、人口に膾炙している遊女伝説について述べよう。

吉原の遊女は男に対して信実を示すため、小指を第一関節のところで切断し、切った指を男に渡したという。いわゆる「指切り」である。

吉原に関する本は必ずと言ってよいほどこの「指切り」に言及しており、木枕や台に指をのせてカミソリをあてがい、ほかの人に鉄瓶などで叩き落としてもらうが、激痛で気絶するため、そばに着つけ薬、血止め、指の包み紙を用意しておく――などと、描写も詳細である。

ところが、この指切りに信憑性はない。常識で、あるいはわが身に照らして考えればわかることではなかろうか。たとえば現代、筆者が風俗嬢Aと相思相愛の仲になったとしよう。

Aが筆者にせまった。
「ね、結婚して」
「ほかにも男がいるんじゃないの」
「あたしがこんな仕事をしているので、信じてくれないのね」
「ああ、証拠を見せてくれなければ信用できないよ」
「じゃあ、指を切るわ」
そういいながら、Aが包丁を持ち出してきて、左手の小指の先を切断しようとする。
「待て、ちょっと待て」
筆者は必死になって止めた。

筆者にかぎらず、男はみなそうであろう。女を愛していれば愛しているほど、指を切るなど耐えられない。指を切らせる男が絶対にいないとは言い切れないが、もしいるとしても嗜虐性の変質者であろう。

男と女と言う意味では、現代も江戸も変わらない。いくら吉原とはいえ、相思相愛の遊女に指を切らせ、その信実を確認して満足する男がいたとは思えない。

第一、遊女は妓楼にとって大事な商品である。指切りなどすれば、商品を傷物にしてしまう。妓楼が指切りを許すはずがない。

吉原の史料のひとつに『色道大鏡』(延宝6年)がある。同書にも指切りのことが出ているが、長崎の公許の遊廓丸山の遊女が指切りをしたが、蘭方の薬のおかげでしばらくすると切断された指がはえてきた――とある。荒唐無稽であり、とうてい信用できない。

吉原に指切りの風習があったなど、でたらめといってよかろう。もちろん、半狂乱になって指切りをした遊女がいたかもしれない。しかし、そうした特殊事例があったのと風習とは違う。指切りはたんなる遊女伝説である。