拡大を続ける東京のウォーターフロント化は、江戸時代初期にはすでに始まっていた。江戸が世界有数の大都市へと飛躍した背景には、徳川幕府の綿密な都市計画があった。東京五輪を前に知っておきたい、東京が首都として発展した歴史的な背景と、現代も見られる江戸の名残を紹介する。

 

 幕府成立後の都市開発事業は、当初の防衛目的から次第にインフラ整備など「江戸住民の暮らしのため」へとシフトした。そのことが、100万人もの人口を抱える大都市「大江戸」へと発展した背景にある。

 江戸の人口が爆発的に増えた要因は、やはり家康時代に定められた「参勤交代」が大きい。諸国の大名を定期的に江戸へ赴任させる制度であり、各地のカネとヒトが自然と江戸へと集中したのだ。また、ビジネスチャンスを求めて伊勢や近江の商人が住み着き、水運で結ばれた上方(京都・大坂)からはさまざまな文化、モノが下ってきた。逆に、江戸に来ないモノは「下らない」モノと呼ばれたのである。

 大都市となった江戸では、人々を楽しませる独自の娯楽が誕生した。神事を起源とする相撲や、出雲発祥の歌舞伎なども興行へと姿を変えた。現代人が「江戸らしい」と捉える文化・芸能は、江戸時代中期に原型が作られたものが多い。

「江戸らしさ」を感じるという点では、土地利用の今昔を見ると面白い。今も観光地である上野公園や浅草は、当時から寺社地であり江戸名所だった。また、東海道第一の宿場町だった品川は今も東京の玄関口であるし、新宿もターミナル駅となり歓楽街として発展している。

 

浅草

浅草寺は飛鳥時代の創建と伝わり、江戸時代には幕府の祈願所とされるなど歴史と格式は関東随一。山門町は当時から娯楽と興行で繁栄し、観光客でにぎわった。幕末に開園した日本最古の遊園地「浅草花やしき」は今も健在。

 

 

上野

上野寛永寺は徳川家康・秀忠・家光3代に帰依を受けた天海僧正によって、1625年に創建され、幕府の庇護の下、最盛期には現代の上野恩賜公園全域を含む寺領を有した。当時の不忍池の周囲は「出合茶屋」のメッカでもあった。

 

 

両国

両国における相撲の歴史は古い。両国国技館から程近い回向院は、明暦の大火による死者を弔うため、幕府によって創建された。同寺は江戸時代後期に勧進相撲の定場所となり、明治期には境内に国技館が設けられた。