岐阜在中の歴史作家・鈴木輝一郎がゆるりとめぐる、戦国武将の史跡。
つい見落としてしまいがちな渋い史跡の数々を自らの足で訪ね、
一つ一つねぶるように味わい倒すルポルタージュ・ブログシリーズ開幕!

浅井長政大活躍!500の兵で1万の敵を翻弄する

 

浅井長政(1545‐73) は北近江浅井氏の三代目。
斎藤龍興(1548‐73) は美濃斎藤氏の三代目。
ふたりともほぼ同世代です。
浅井長政はお市の方の旦那で茶々・初・江の父親、斎藤龍興は斎藤道三の孫で織田信長の甥、と、本人よりも親戚のほうが有名、なんて共通点もあります。
『常山紀談』(江戸中期に編纂された戦国武将エピソード集。信頼性は「そこそこ」)に、浅井長政が500ほどの兵で、斎藤龍興軍1万をきりきり舞いさせた、ってな話があったんで、
ちょっと車走らせていってきました。
いかにも嘘臭い話ですしね。
いつのころなのかはよくわかりません。
ただ、斎藤龍興はわずか7年しか在職していなかったので、そのうちのどれか。
最初浅井長政が陣取ったのは中山道関ヶ原野上。
何にもないとこです。
 

 

道をはさんだ反対側に桃配山があります。
 

 


 
斎藤龍興が1万もの兵を動かしたと知ると、浅井長政は500の兵のうちの100ほどを割いて菩提山にのぼらせ、
斎藤龍興の背後に回らせます。
ちなみにこの菩提山、竹中半兵衛の住居もあった。
山をとっても味気ないので、写真は竹中半兵衛の陣所。
斎藤龍興軍1万が混乱した隙を突いて浅井長政軍は大垣に突入し、市中を放火し、すぐに退却をはじめます。
斎藤龍興軍はあわてて深追いをするのですが、中山道垂井宿で浅井長政軍の待ち伏せにあって大敗した。
とはいっても20倍ちかい兵力の差があるんだから、そうかんたんには全滅しない。
斎藤龍興軍1万は浅井長政軍500を南宮山まで追い込んで包囲した。
(写真は南宮大社)

 



しかし浅井長政は少しもあわてず、兵力を一点に集中して斎藤龍興軍の包囲網を突破し、
あっさり小谷城に帰り、斎藤龍興の面目は丸潰れ。
家臣団から見放される要因のひとつになりました。
まあ、話としてはおもしろいけど、じっさいはどうかな? 
と眉につば付けて現地にいってみると納得。
とにかく山が深くて広いんだ、菩提山も南宮山も。
500の軍が潜伏したってわからない。
だけど1万もいたら丸わかり。
要するに、浅井長政が500動かしたと判明したとき、1万も動員した斎藤龍興の判断ミスだわな。
しかもさんざん暴れさせていながら浅井長政は無傷なんだもの。
絵に書いたようなゲリラ作戦です。
同じ頃、竹中半兵衛が斎藤龍興をいましめるために、手勢で稲葉山城(岐阜城)から斎藤龍興を追い出す事件もあった。
竹中半兵衛の話は、またいずれ。

<了>