山本五十六機撃墜の成果は、ランフィアとバーバーの共同撃墜とされた。しかしそうなると、撃墜記録が4・5機に減少してしまうランフィアは、「最低5機撃墜」というエースの資格を喪失することになった。しかも、かつての第339戦闘中隊員を中心に結成された「セカンド・ヤマモト・ミッション・アソシエーション」という団体が、バーバーがひとりで長官機を撃墜したという見解を支持した。

 このような理由から、1987年11月26日にサンディエゴの在郷軍人病院で癌により逝去するまで、ランフィアは自分が単独で長官機を撃墜したと公認するよう、軍当局に求めていたという。

 一方、「セカンド・ヤマモト・ミッション・アソシエーション」は1990年5月20日、飛行可能な状態で維持されているP-38を使って検証実験を行った。その結果、ランフィアの言い分には無理があり、長官機はバーバーの単独撃墜とすべきであるという報告書を軍に提出。だが軍は回答を避けた。そして2001年7月26日には、当事者たるバーバーも逝去してしまった。

山本長官機を撃墜したとされる2人のアメリカ軍士官。写真右がレックス・バーバー中尉、左はトーマス・ランフィア大尉