常に新たな視点を持ち、従来の研究では取り扱われなかった古代史の謎に取り組み続けてきた歴史作家・関裕二が贈る、日本人のルーツを探る異端の古代史シリーズ!(現在第7弾まで発売中)その中でも厳選したテーマを紹介いたします。

日本人の生活の中の仏教文化

「日本人の信仰と日本の歴史を理解するためには、仏教を学ぶ必要がある」と、声高に主張する学者がいる(あえて、誰とは言わぬ)。

 たしかに、われわれの生活の中に、仏教文化は深く融合している。お葬式はお寺に頼むし(頼まない人も中にはいる)、「悪霊に取り憑かれた〜!!」となれば、たいがいはお坊さんを頼る(あまりいい例ではなかったか)。
 とにもかくにも日本人と仏教は、切っても切れない関係にある。

 六世紀に仏教が伝えられてからこの方、仏寺は各地に造られ、多くの貴族が仏教に帰依(きえ)していったし、聖武(しょうむ)天皇に至っては、盧舎那仏(るしゃなぶつ)の前に北面(ほくめん)し、仏の加護(かご)を祈った。

 江戸時代の国学者・本居宣長(もとおりのりなが)は、つねに南面(なんめん)していなければならない天皇があるまじき行為をしたと憤慨したほどだ。

聖武天皇

 聖武天皇は各地に国分寺(こくぶんじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)を建立させ、仏教による支配体制の構築を目論んだ気配がある。

 やがて末法思想によって阿弥陀(あみだ)信仰が盛んになり、庶民も仏の教えに吸い込まれていく。
 そして中世には、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、時宗、曹洞宗などの宗派が、多くの人々に受け入れられていったのだ。そして江戸時代には檀家制度も確立し、生活の隅々まで、仏教が浸透していった。

 日本人自身も、「日本人の伝統的な信仰は何か」と聞かれれば、「神道か、仏教か……」と、迷うはずである。

 ところが、仏教といっても、天竺(インド)から中国を経て日本にもたらされてから先、日本的な信仰に変化していったようなのだ。

 日本人の太古から続く信仰形態は、外見だけ姿を変え、あるいは新たな信仰を受け入れた振りをしておきながら、仏教そのものを、いつの間にか日本的な様式にアレンジしてしまったと考えられるようになってきた。

「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とする東大寺の金堂。

 たとえば、お盆になれば、里帰りをして先祖を迎える。これを「純粋な仏教行事」と信じている人も少なくあるまい。しかし、一年に一度死んだ者の魂が里帰りしてくるなどと言う話は、仏教とはまったく関係のないことなのだ。

 なぜ日本人は、自覚のない信仰心を抱き続けてきたのだろう……。答えは、それほどむずかしいことではないように思う。

 災害列島で生活してきた「列島人(あえてこう言っておく)」は、大自然に打ち勝とうとは思わなかったし、「人間なんか、ちっぽけな存在だぜ」と、「まっとうな諦観」を抱いていたのであって、それが生きる上での「指針」「信仰」になっていたのだろう。

 

異端の古代史シリーズ④ 捏造された神話 藤原氏の陰謀』より