山本長官機の墜落現場はきわめて蠅が多く、収容時、損傷がひどく死後の時間が経過している遺体ほど多数の蛆が発生していたが、山本の遺体は蛆の発生がごく少なかったという。また、山本の遺体を最初に検視した蜷川軍医中尉の検死調書や最初に発見した捜索隊は「身体に大きな傷や大出血はなかった」という証言をしている。

 さらに墜落当日の夕方、日本海軍の捜索隊と接触した現地人が、身振り手振りで墜落機の乗員が「ハアハアフウフウ」と努力性の呼吸をしていることを伝えているが、これは内臓や脳に重傷を負った瀕死の状態での呼吸とも推察できる。

 こういった傍証と類推を重ねるに、やはり山本長官は墜落直後には生存していた可能性が高い。そしてこれはさらなる推理 となるが、敵機の襲撃時、連合艦隊幕僚や手空きの乗員が山本の周りに集まって「人間の盾」となり、墜落に際しては、山本に抱き付くなりスクラムを組んで「人間緩衝材」となった可能性はないだろうか…。そう考えれば、強烈な打撲でのちには生死にかかわるような内出血こそ起こしたが、山本が即死を免れ、ほかにも墜落後にしばらく生存していた者がいた痕跡があることの説明がつきそうだ。

墜落現場に到着した日本軍捜索隊の残された証言から作成した現場状況のイメージ図