常に新たな視点を持ち、従来の研究では取り扱われなかった古代史の謎に取り組み続けてきた歴史作家・関裕二が贈る、日本人のルーツを探る異端の古代史シリーズ!(現在第7弾まで発売中)その中でも厳選したテーマを紹介いたします。

 日本には「女人禁制」の場所が、いくつもあった。僧たちが修行をする場も、女性を寄せ付けないことがある。

 修験者(しゅげんじゃ)が篭(こ)もる山も、多くの場合、女性を拒否した。
   いまだに相撲は伝統を守っている。女性が土俵にあがることはできない。

歌川国貞

「だから日本は野蛮なんだ」と、したり顔で言う人がいる。たとえば山に女性が入ることを拒んだのは、山の神が女性で、機嫌を損ねることが恐ろしかったからだ。

 相撲の土俵も事情は同じだ。女神(地母神(ぢぼしん)、豊穣(ほうじょう)の女神)の手のひらの上で、男どもが験競(げんくら)べをしているのが、相撲だろう。
    古代の日本では、むしろ女性は大切に守られていたし、母系社会だった。
    ただし、平塚らいてうが「元始、女性は太陽であった」と述べたようにではない。

 天照大神(あまてらすおおみかみ)を女神と言いだしたのは八世紀前半の『日本書紀』で、あれは、女帝・持統(じとう)天皇を神格化するための方便に過ぎない。
   伊勢内宮(ないぐう)で祀られる伊勢の神は、男神なのである。
  天皇は娘や身内の女性を斎王(さいおう)( 巫女(みこ))に立て伊勢に派遣したが、斎王は天照大神(男神)と性的関係を結ぶと信じられていたようだ。神は祟る恐ろしい存在だから、結び着いてなだめすかすのだ。

 

修験者

 そして、穏やかになった神からパワーを引き出し、天皇にそれを放射する。
   こうして、天皇は霊的な力を獲得するという図式が出来上がっていた。
   天照大神が男神だからこそ、女性は「神とつながる貴重な存在」とみなされたわけだ。

 神社で巫女さんが鈴を持って舞うのは、神様の無聊(ぶりょう)を慰めるために行なわれていたのだ。
   芸能の起源も、このあたりにある。
   ちなみに、神社のまわりに花街(はなまち)が集まったのは、巫女が零落(れいらく)し遊び女になったからで、そもそも「遊び」は、「神遊び」の意味だった。
   もちろん、「大人の遊び」である(みなまで言わすな)。
   あ、それから、「ガイジンはやさしいから好き」という女性も多いだろうが、ひとつ警告しておこう。
   そもそもキリスト教は、女性を蔑視(べっし)ししていたのだ。
   宇宙を創造したのは男神であり、女性は男性を誘惑する淫乱(いんらん)な存在とみなされていたのだ(くれぐれも誤解のないようにいっておくが、これは、個人的な見解などではない)。

 アダムとイブの話を思い出せば、分かっていただけるだろう。

 

異端の古代史シリーズ⑤ もうひとつの日本史 闇の修験道』より

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