日本海軍は太平洋戦争勃発前の1939年6月1日、戦略常務用暗号として通称「D暗号」と呼ばれる海軍暗号書Dの使用を開始し、やがて海軍の暗号通信の約半分を占めるほど使用頻度の高いものとなった。このD暗号は「海軍暗号書D(暗号本体)」「乱数表」「使用規定」「特定地点略語表」「暦日換字表」などから構成されており、原則的に1単語を5桁数字で表す構造だった。

 欧文はアルファベット26文字と0から9までのアラビア数字の組み合わせだけで文章が構成でき、これに親しんでいる欧米人には、漢字、平仮名、片仮名、数字が混用される日本語自体、すでに簡単な暗号のようなものといえる。このような言語をさらに込み入った暗号を経由して変換してしまえば、解読がいっそう困難になるはずだと日本側は考えていた。

 事実、世界的に見てもD暗号は強度の高い(つまり解読しにくい)暗号であり、さらに知り得ている諸外国の暗号解読技術も考慮した結果、日本海軍はD暗号に絶大な信頼を置き、その秘密保持性を過信してしまうことになった。それゆえ暗号本体の構造を変更することなく、乱数表などを逐次更新しての使用が続けられたのである。

 なお、アメリカ側はD暗号を「JN-25(JNは「Japanese Navy」の略)」と称し、日本海軍の暗号なのでその解読作業は同じ海軍で行うことになった。

 そこで、優秀なコード・ブレイカー(暗号解読者)多数に加えて、極初期の機械式コンピュータであるタビュレーター(統計機)が何台も投入され、解読作業が急ピッチで進められた。

ドイツ軍の暗号の解読を試みるイギリス軍情報部。