フランス王妃として贅沢三昧の日々を送り、国の財政を大赤字にしたとされがちな浪費家・マリー・アントワネット。しかし彼女の浪費癖の裏には、王妃としての苦悩の日々があったということは、あまり知られていないのではないでしょうか。そんなアントワネットの人物像について、漫画『ベルサイユのばら』の作者・池田理代子先生にお話を聞きました。

 

愛くるしいおてんば娘

 

 オーストリアのハプスブルク家に、16人兄弟の第15子として生をうけたマリー・アントワネットは、青い瞳に輝くブロンドの髪、真珠色の肌に気高く愛くるしい姿で多くの人を魅了しました。オーストリアを統治した女傑として知られる母マリア・テレジアのもとで、アントワネットは、勉強や儀式に縛られることが大嫌いなおてんば娘として育っていきます。
 その後、長い間戦争をしていたオーストリアとフランス両国の同盟のため、アントワネットは14歳でフランスの当時王太子だったルイ16世のもとに嫁ぐことになり、自由な生活をさせていた彼女を嫁がせることに、マリア・テレジアは不安を感じます。しかし、この可愛らしい王女は、フランスからとても祝福されました。やっとの思いでフランスとオーストリアが和平を結んだ平和の象徴、しかもお金持ち――これから素晴らしい時代がやって来るだろうと人々は歓喜に沸きました。

 アントワネットがフランスに嫁いできた時は、まだルイ15世が存命で、ルイ14世の権威の名残が非常に強かった時代でした。王室内のしきたりは厳しく、朝起きてから寝るまで、着替えをひとつするにも自分でしてはいけません。世話係もそれぞれに決まっていて、朝起きた時に下着を渡す係、上のドレスを持ってくる係など、すべての行いに専門の召使いがついていました。
 召使いといっても宮廷にいる人たちはみんな貴族ですから、要は貴族の奥様方たちです。その中でどの係に選ばれるかで、ある意味しのぎを削っていたわけですね。みんなに役割を与えてあげないといけないので、仕事が細かく分割されていて、それを別の人がやってしまうと越権行為になってしまいました。
 着替え、化粧、食事、ミサ、えっ見、また着替え……オーストリアの比較的自由な宮廷で育ったアントワネットにとっては、朝目覚めた時から毎日規則正しく行われる儀式に窮屈さを覚えるようになっていきました。

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