イラスト/フォトライブラリー

風俗店の宣伝文句に「素人」とか「人妻」というのがある。本来、風俗嬢は、その仕事で金を得ているのだからプロ(玄人)であろう。それが「プロではない」ことを売り物にするわけである。

素人の女と付き合いたいのなら、そもそも風俗店に行く必要はないであろう。また、風俗店で働く女が素人であるはずがなかろう。根本的な論理矛盾だと思うのだが。しかし、この錯覚に迷う男は少なくないようだ。というより、錯覚であることは承知の上で、「素人っぽさ」を楽しんでいるのだろうか。

『藤岡屋日記』によると、天保8年(1837)ころから、両国あたりの道端に「引張り」と呼ばれる女が出没するようになった。もとはみな、本所長岡町にある切見世(きりみせ)の女郎だった。

切見世とは簡便な「ちょんの間」の情交を提供する格安の女郎屋で、長屋形式だった。ところが、なかなか客が寄りつかず不景気になってしまった。そこでがらりと方針を変え、素人女をよそおうことにしたのだ。女はみな前垂れをつけ、下駄ばきで夜道に立った。男が通りかかると袖を取って引っ張り、声をかけた。
「もし、どこへでもまいりましょう」
知り合いの家や居酒屋の2階を借りて情交をおこない、金2朱とか3朱をねだった。さも、素人の女が生活苦から、やむにやまれず体を売るかのような演出をしたのである。素人を売り物にしたわけだが、これが新鮮だったのか、大いに受けた。まさに「素人」「人妻」がうたい文句だった。当初は数人だったのが、いつのまにか100人ほどもの女が毎晩、たむろして男の袖を引っ張るようになった。その横行ぶりは目にあまるというので、ついに天保11年4月12日、町奉行所が一斉摘発をおこない、32人の女を召し取って牢屋に入れた。

弘化4年(1847)ころには、外堀に架かる新し橋(あたらしばし)や、神田川に架かる和泉橋の付近に引っ張りと呼ばれる年増女が出没し、男を呼び止めて話がまとまると、自分の家に連れ込んだ。泊まりで金2朱だった。2朱は現在の値段に換算すると12500円くらいだろうか。吉原は別として、ほかの遊里にくらべてかなり高い。

同じ娼婦でありながら、素人という錯覚をいだかせるだけで価値が出てくる。本質的には現在の風俗店の「素人」表示とまったく同じといえよう。「素人」に迷うことにかけては、江戸の男も現代の男もまったく同じなのかもしれない。