新選組の維新後の生き残りといえば、斎藤一に永倉新八、島田魁らが有名だ。中島登は、知名度では歴戦の隊長や伍長に譲るが、同志を描いた『戦友姿絵』によって、確かな足跡を遺した。その生涯と、絵に秘められた想いに迫る。

『戦友姿絵』は中島登(なかじまのぼり)の「理想とする、憧れだった新選組。そのあるべき新選組を支える隊士たち」を描いたものだった。したがって、「鎮魂歌」は近藤・土方たち26人の隊士よりも、なによりも中島登が中島登に捧げるレクイエムだったはずである。

登にこういう感傷をもたせたのは、私見だが箱館五稜郭の日々だったのではないかと思う。たとえば箱館に駐在する外国外交官たちは「独立国」として認めたという、俗にいう「榎本共和国」は仕官以上の役職者選挙を民主的行為として認めたからだという。しかしこの選挙はそんなご大層なものではない。

えらばれたのは総裁榎本武揚(えのもとたけあき)、副総裁松平太郎をはじめとして海軍奉行荒井郁之助(いくのすけ)、陸軍奉行大鳥圭介、箱館奉行永井尚志(なおゆき)、開拓奉行沢太郎左衛門(さわたろうざえもん)などである。松平定敬(さだあき)、板倉勝静(かつきよ)、小笠原長行(ながみち)、竹中重固(しげかた)などの大名もいたが票を得ていない。ここではすでに「過去の存在」なのだ。

そして土方歳三の票も副総裁候補として8票(3位)である。この得票状況をみて登はどう感じただろうか。

・ ここ(箱館)の上層部は以前として消えた幕府の意識をひきずっている。それは榎本も同じだ
・ 新選組は松平定敬(旧京都所司代)や板倉勝静(老中)などは一応評価しているが、多くは認知していない。「日陰の存在」なのだ
・ 土方への投票がそれをよく示している

「それならいっそのこと、新選組は新選組で結成の初心原点に戻って結束しようじゃないか」というのが、登の偽らざる気持ちだったろう。『戦友姿絵』にはそういう登の悲痛な思いも込められているのだ。