平成の相撲ブームは兄弟2人だけど
“ウルフフィーバー”は俺1人だからね

 

 

 元横綱千代の富士の九重親方がすい臓がんのため、先月31日に61歳の若さで亡くなった。優勝31回、通算1045勝など輝かしい実績を残し、角界初の国民栄誉賞にも輝いた。そのサクセスストーリーが始まったのが、昭和56年1月場所。関脇で初優勝を飾り、“ウルフフィーバー”がうねりを上げたのがこの場所だった。


 のちの平成時代にいわゆる“若貴兄弟”を中心とした空前の大相撲ブームが巻き起こるが、NHKの大相撲テレビ中継の歴代最高視聴率をマークしたのは、実は“若貴時代”ではなく“ウルフ”が横綱北の湖を優勝決定戦で破って初優勝を決めた同場所千秋楽である。平均視聴率52.1%、瞬間最高視聴率65.3%はいまだ破られていない。後年、九重親方はこんなことを“豪語”していた。


「平成の相撲ブームは兄弟2人による数字だけど、“ウルフフィーバー”は俺1人だからね。どれだけすごかったか」。


 関脇で初優勝した4場所後には横綱に上り詰めた。左の前廻しを取って一気に走る速攻相撲で綱を射止めたのだが、横綱昇進以降は右手で相手の首根っこを押さえつけ、左上手から豪快に投げる“ウルフスペシャル”が“必殺技”となった。力を見せつけるような荒業だったが、そこにはウルフなりの計算があった。


「横綱になったら勝った相撲は(新聞に)載せてもらえないんだよ。年に10回ぐらいしか負けないのに、それが全部載るわけだから悔しかったね。だったら、勝っても載せてくれるような内容の相撲を取ればいいのかなと。それが“ウルフスペシャル”になったんじゃないかな」。


 誰もが認める肉体的な強さはもちろん、新聞やテレビといったマスコミをも味方につけたことでそのイメージは倍加され、人々の記憶に深く刻み込まれていった。今、我々が抱いている大きな喪失感や悲しみは、その反動を物語っているのではないだろうか。