いかに自分が苦労して築いた富だ、
といったところで、
その富が自分一人のものだと思うのは、
大きな間違いなのだ
──渋沢栄一

写真:近現代PL/アフロ

 渋沢栄一の生きた明治から大正にかけて、日本は近代的な資本主義社会へと急速に変貌を遂げていきました。その過程で財閥が勢力を拡大し、ビジネスの世界だけでなく、社会全体に大きな影響力を持つようになります。
 ちなみに財閥とは、特定の一族が独占的に資本を握り、組織・企業グループを形成して経営を支配する形態です。当時、三井、三菱、住友、安田のいわゆる「四大財閥」のほか、古河、浅野、川崎、藤田といった財閥が実業界を牽引するようになっていました

 そんななか、三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎氏と渋沢氏は、実業家としてまったく異なる信念を持っており、何かにつけて対立したり、相反する意見をぶつけ合ったりする関係にありました。
 岩崎氏が興した郵便汽船三菱会社の社規第一条に、次のような記述が見られます。
「当社はしばらく会社の名を命じ、会社の体をなすといえども、その実全く一家の事業にして、他の資金を募集し結社するものと大いに異なる。故に会社に関するる一切のこと、全て社長の特裁を仰ぐべし」

 要するに「会社という形態をとっているけど、実態は岩崎家の事業であることを忘れるな。みんなでお金を出しあって、みんなで物事を決めていくような会社とは違うぞ」「会社に関するすべてのことは社長(つまり岩崎弥太郎)が最終的に判断する。勝手にビジネスを進めるな」ということです。会社の利益も損失も、すべては社長のものであり、岩崎家のもの……というわけです。そんな三菱財閥の方針は「社長独裁主義」と評されたりします。
 対して渋沢氏は、前回も触れたように「儲けることはいいことだ。でも、利益は独占することなく、社会に還元しなければならない」という考え方を持っていました。また、「公益を追求し、会社組織としての使命を果たすために幅広く資本と人材を集めて、事業を進めていく。人材は身分や家柄に関係なく、優秀であればどんどん登用して、仕事を任せていく」といった、企業の公共性や社会的責任をとても重要視していました。
 渋沢氏も岩崎氏も“日本の近代化を推し進めて経済を発展させ、欧米列強に負けない国をつくる”という大志は同じでした。しかし、経営者として、実業家としてのスタイルがまったく違っていたのです。道徳や仁義を重んじるビジネスを旨とした渋沢氏に対して、岩崎氏は個人の才覚と強烈なリーダーシップでビジネスを展開していったといえます。

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