「書はアートなのかそれとも教育か?」日本の書道芸術を世界に発信したいという思いを持ち、他に類をみない新しいジャンルの作品を発表している書家、田中逸齋氏に寄稿いただいた。

 

 

 書はアートなのかという問いに対して皆さんはどんな思いを頂くだろうか?
「書は文字であり、絵ではないからアートじゃないでしょ!?」「そんなこと考えたこともなかった」
  ひとそれぞれに様々な意見があると思う。
  日本人にとって文字というものは常日頃、身近に存在し、文字から情報を得て、またコミュニケーションに役立てているものであるので、書をアートとしてみるというよりは、文字を習う教育・教養として捉えられる方も多いと思う。

  今回、これから記す体験や書家が何を考えているのかを通して、書を観る価値観を少しでも共有してもらえたらありがたい。

 日本国内において書作品というのは評価が低く、アートとして見られていないのが現状である。美術商が取り扱っている書作品といえば、テレビに出ている有名人のどこぞのだれだれが書いたといった、そのレベル。 
 観る人は「よくわからない」あるいは「世の中で評価されているから良い作品だと思う」と感じている。

 つまり、作品力は二の次として扱われているのである。では、書家がそのような現状を打開し、アートと同じ土俵にたつにはどのような表現をしたらよいのだろうか。
 日本人の書道に対する概念と、海外の方の書道に対する概念の違いがあるのではないか?
 そう考え、そのギャップを書のパフォーマンスで表現しようと思ったのだ。

 作品を発表する場所は日本ではなく漢字の知識を持たない海外が最適だと考えた。そこでポップアートの盛んなアメリカの西海岸最大最古のアートフェアLA Artshowにて3m×3mの巨大書道パフォーマンスを行った。
 コンセプトは昨今もてはやされている踊りながらのパフォーマンスや、勢いだけのパフォーマンスとは違い、日本人でも読める美しい楷書体で、たった一文字書くだけのパフォーマンス。

 『糞』という文字を題材として選んだ理由は、パフォーマンスで表現した、その作品だけでオーディエンスがどう感じてくれるかを率直に知りたいというところから。
 オーディエンスは書のパフォーマンスをではなく、他のアート作品を観ることを目的に来場してきているからだ。

 文字の意味がわかる日本人にとって『糞』という文字を書いた書道作品を見たとき、『クソ』でしかありえない。
 というよりも『糞』を『クソ』と読むことができる大人にとっては『クソ』でしかありえない。
 実際、私の作品を見た日本人は「不快だ」「見たくない」「こんな言葉を選ぶなんてふざけている」などの意見を頂いた。

 一方で、海外の方の反応は全く違った。 楷書一文字を巨大キャンバスに書くという地味なパフォーマンスを最初から最後までじっと見つめ、「美しい!」、「すばらしい」「今まで見た書道パフォーマンスと全く違う」など絵画を見た時と同じ反応の言葉を頂いた。そして、皆が同じ質問をしてくる

「どういう意味か?」。 もちろん、『糞』の意味とパフォーマンスのコンセプトを伝えた。 
 皆大笑いをしたと同時にその目的に強く感銘し、また日本の書道の現状に大きな関心を抱いてくれた。 
 平行して『糞』の横に同様の『愛』という作品を並べてみた。文字の意味を知った方は、それでも『糞』は素晴らしいと絶賛してくれた。海外のメディアやキュレーター、コレクターからも非常に評価が高く「面白い日本人がいる」と話題になっていたほどで、予想以上の反響に私自身が一番驚いた。

 決して言葉の意味のわからない海外の方をチートするためにこのようなパフォーマンスをしたのではなく、むしろ海外の方にこそ書道の作品を本質的に鑑賞することができるのではないか。そして、日本人もまた海外の方と同じように書を絵画を観るように感じてほしいと思い行ったパフォーマンスであり、最高に美しい書を巨大キャンバスに書くという私自身のチャレンジでもあった。

 地球に暮らす人間は嬉しいことがあると嬉しいと感じ、悲しい出来事があったときは悲しいと感じ、美しい感動する風景を見たときは美しいと感じる。
 これは誰から教わることなく人間に備わった感覚であり、ましてや赤ちゃんでさえその感覚を持っているわけで、私が海外で行ったパフォーマンスにより日本人が“読む”という行為ではなく、“感じる”という行為で書の作品を鑑賞していただきたいということに一石を投じることができたと実感できた。

 日本の室町時代には日本独自の美意識である侘び寂びといった感覚が大衆にも拡がり、東山文化(庶民文化)となってきた。書もまた東山文化の中で育ち、掛軸は床の間に飾られていた。
 いわばリビングに絵画を飾るように日本人は書を飾り楽しんだようだ。
 今後、読み書きだけの書ではなく、日本人の昔から培った美意識を生かし、少しでもアートとしての書を再認識して頂けたらと思う。
 日本独自の文化であり、世界に誇れるアートなのだから。