「十七条憲法」は世界に誇る知的財産

 日本に憲法という「言葉」が初めて現れるのは、養老4年(720)に完成したとされる日本書紀の巻第二十二の推古天皇紀にある「皇太子親肇作憲法十七條」の一文である。いわゆる聖徳太子の「十七条憲法」だ。

 昨今、聖徳太子については、その実在についての研究が盛んである。高校の教科書などでは「聖徳太子」だけではなく、「厩戸王(うまやどのおう)」または「厩戸王子」と書くか、「厩戸王(聖徳太子)」などと記述されている。

「皇太子親肇作憲法十七條」の皇太子とは推古天皇の皇太子、厩戸王(厩戸王)のことで、その実績が聖徳太子という架空の人物のものとしてまとめられたとも言われている。しかし、聖徳太子が架空の人物かどうかは、聖徳太子という伝統の価値とはまったく関係のないことだろう。

 

「十七条憲法」もまた、後世の、つまり日本書紀の作者による創作だとするような研究もある。だが、これもまた、十七条憲法という伝統の価値とは関係がない。古来の日本人の考え方がこれによってわかるということが重要である。

「伝統の価値」と言ったが、別の言葉で言えば、少し難しくなるかも知れないが、“実在の重さ”ということだ。『聖書』や『コーラン』がそれらの聖典が教えるようにどのように書かれたか、また内容が歴史的事実かどうかと関係ないように、あるいは、古事記の神話的記述が歴史的事実かどうかを問われないように、聖徳太子の「十七条憲法」は“実在の重さ”に裏打ちされている。

 

 一般的に「十七条憲法」に書かれている内容は、当時の官僚が心得ておくべきモラルだとされている。第一条の「和を()って(とうと)しとなし」が有名だが、賄賂(わいろ)の禁止や実力による適材適所、勤務規定、賞罰、徴税にについてなど、行政法規も多く含む。

 特に注目すべきなのは、第一条に書かれ、さらに最終第十七条で再び念を押される「議論の大切さ」である。これは「合議による行政が当時すでに標準だった」、少なくとも「標準とすべきとしていた」ということを意味している。

 アメリカはもちろん、ヨーロッパが誕生する遥か昔から、日本は「合議制行政」、すなわち「議会制民主主義」の精神の重要性を成文化していたことになる。

<『日本人に「憲法」は要らない』西村幸祐より抜粋>