復元された箱館奉行所で一枚(小雨)

 函館の五稜郭は、元治元年(1864年)に完成した幕末の城郭です。「日米和親条約」で箱館開港によって設置された箱館奉行所の移転に伴い、江戸幕府によって建てられました。太鼓櫓を載せた奉行所は2010年に復元されたばかりなので、まだ新築の良い香りを漂わせています。

 元々の箱館奉行所は、海に程近い函館山の麓に置かれていました。ところが、その場所ではあまりに海に近すぎて外国船から砲撃を受けてしまう不安があったので、海から約3kmの場所に移すことになりました。それが現在の五稜郭です。

 五稜郭は何と言っても、ヨーロッパの築城術を取り入れた星型のデザインが非常に印象的です。このデザインは、単に美しさを追究したものではなく、きちんと戦闘を意識した縄張りとなっています。

 横矢掛(よこやがかり=敵を横から攻撃する)をかなり意識して造られており、5つの突き出た角(稜堡=りょうほ)に砲台を設置して死角をなくすことによって「敵をあらゆる方向から砲撃することができる」のです。

 この稜堡式のお城は「敵からの砲撃に強い」という特徴もあります。お城と言えば、「高石垣に天守」などを想像すると思いますが、そういった高いものは大砲の絶好の的になってしまいます。そこで稜堡式のお城は、城壁などを逆に低くすることによって砲撃のターゲットになることを防いでいます。

 大坂城の石垣の高さが水面から約24mであるのに対して、五稜郭の土塁は3分の1以下の約7mしかないのです。しかしそれでは、敵が城壁までたどり着いた場合、この城壁では簡単に登られてしまいます。

 そこで五稜郭の石垣の最上部には「はね出し」が付いているのです。このはね出しは、別名「しのび返し」「武者返し」とも呼ばれる、石垣最上部に飛び出した返しで、石垣を登ってきた敵を跳ね返すことができます。これもヨーロッパ式の築城術に見られる特徴の1つで、これなら接近戦になっても問題ありません。

 また、城の入り口を遮るように設置されている「見隠塁(みかくしるい)」と呼ばれる防御施設もあります。これは文字通り「城内の様子を隠す役割」を果たし内部を知り得ない敵をあざむくこともできるのです。

 以上のように、ヨーロッパの築城技術を取り入れた最新城郭である五稜郭が、その実力を発揮する機会が訪れます。「戊辰戦争」における最後の戦いとなった「五稜郭の戦い」です。

 榎本武揚が総裁を務め、元・新撰組副長の土方歳三が陸軍奉行並を務めた旧幕府軍が五稜郭に入り、薩長を中心とした新政府軍を迎え撃ちました。

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