古代史上屈指のミステリー、蘇我入鹿殺害事件。実行したのは中大兄皇子や中臣鎌足の一派だが、その背後には様々な背景や、黒幕の存在が見え隠れする――!? 中大兄皇子と中臣鎌足を操った影の人物を暴く!!
【飛鳥板蓋宮跡】蘇我入鹿殺害の舞台となった皇極天皇の宮殿。当時は茅葺きが主流だったが、造りが板葺きだったために、その名がついたとされている。板蓋宮(いたぶきのみや)は皇極が夫である舒明(じょめい)天皇の死後、即位する際に蘇我蝦夷へ命じて造らせた。のちに火災で焼失したという。

■もうひとりの黒幕と見られる孝徳の姉・皇極天皇の存在

 孝徳天皇黒幕説を補強するのが、姉の皇極天皇の存在だ。皇極天皇も黒幕のひとりだと考えられる。入鹿は中大兄皇子に斬られた際、「いったいなんの罪があって私はこのような目にあうのでしょうか」と言い放った。この言葉は、入鹿が皇極天皇こそ首謀者だったと気付き、それを批判したと理解するのである。

 クーデターは朝鮮半島からの外交使節が表敬訪問する儀式の最中に行われた。儀式そのものが仕組まれていたとの考えもあり、その場合、皇極天皇が事情を知らなかったとは考えにくい。もし知らなければ、外交儀式を捏造(ねつぞう)することになり、天皇への最大の侮辱となるからだ。

 クーデター後に皇極が行った孝徳への譲位は、史上初のことだった。天皇位は「終身雇用」、つまり死ぬまで続くのが通例だったためだ。

 では、部下の入鹿が殺されたからといって、なぜ皇極は天皇家の先例を破ったのか。それは皇極自身が中大兄皇子へ最終的に皇位を譲りたかったからだろう。当時は、複数の「大兄」の中から年功序列で次期天皇が決められるため、一番若い中大兄皇子は不利だった。山背「大兄」皇子はすでにこの世になく、残る古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)が消えれば、息子の即位はぐんと近くなる。

 飛鳥時代は天皇自身にも年齢と経験が必要で、10代の若者の中大兄皇子は、この時点で即位するのは不可能。そこで、皇極は孝徳を中継ぎとして後継者に指名した可能性が高い。皇極天皇と孝徳天皇の2人がクーデターを主導した黒幕だ、とする説の蓋然性(がいぜんせい)は高い。

 では最後に、なぜ入鹿が暗殺される時、女帝は中大兄皇子に「一体どうしたのか」と驚いて聞いたのか。それは、シナリオでは刺客が暗殺するはずなのに、血を最も嫌う地位である天皇になろうという中大兄皇子が自らの剣で、入鹿の血を流したことに驚いたからにほかならない。
 

「乙巳の変」後に死んだ有力者たち
■古人大兄皇子
変後に出家していたが、謀叛の疑いをかけられ、異母弟の中大兄皇子に誅殺された。
■蘇我石川麻呂
謀叛の密告を受けた孝徳天皇が石川麻呂を粛清。新政権内で確執があったと思われる。
■孝徳天皇
のちに中大兄皇子と対立。皇子らに都を去られてしまい、最期は失意の中で死去した。
■有間皇子
中大兄皇子による陰謀によって謀叛の疑いをかけられ、絞首刑に処された。

 

《「乙巳の変」の黒幕は誰だ? 第4回へつづく》