古代史上屈指のミステリー、蘇我入鹿殺害事件。実行したのは中大兄皇子や中臣鎌足の一派だが、その背後には様々な背景や、黒幕の存在が見え隠れする――!? 中大兄皇子と中臣鎌足を操った影の人物を暴く!! 3つ目の説は「蘇我氏内紛説」だ。
 

■クーデターの黒幕は石川麻呂とする「蘇我氏内紛説」

 乙巳の変で重要なことは、実は「蘇我氏は滅んでいない」ということだ。忘れがちだが、歴然とした事実である。

 変から27年後、中大兄皇子の弟である天武(てんむ)天皇が即位した。その息子たちの皇位継承順位をみると、2つのグループに分かれている。母親の身分によって皇位に就けるか就けないか、歴然とした壁があり、一番年長の高市皇子(たけちのみこ)は天皇にはなれないグループだ。天皇になれる上位グループの母親をみると、天皇の娘(内親王)、藤原氏、そして蘇我氏がいる。蘇我氏はこの時点でも、相変わらず天皇を生み出せる上位の貴族(臣下)だったのだ。

 では、乙巳の変で何が変わったかというと、天皇制が覆されたわけではない。蘇我一族の本宗家が、蝦夷・入鹿親子から石川麻呂に移っただけにすぎない。つまり、このクーデターの黒幕は蘇我氏の主導権を手中にしたかった石川麻呂である、とするのが「蘇我氏内紛説」だ。

 『日本書紀』では、ぶるぶる震える情けない男として描かれている石川麻呂だが、計画通りに事を進めていたのは彼であって、グズグズしていたのは中大兄皇子と中臣鎌足が率いる実行部隊であった。

 石川麻呂が上表文を読み終えたら暗殺のチャンスは二度とこない。震えながら「天皇の前で緊張していました」と言ったことも、怯(おび)えからではなく、入鹿の注意を引きつける巧みな演技とみることもできる。さらに、蝦夷と入鹿に仕える軍人たちが簡単にクーデター側に寝返ったのも、蘇我氏が滅ぶのではなく「単に主君が変わっただけ」との認識もあっただろう。事実、クーデターの参加者で「直後」に得をしているのは、本家を奪って右大臣となった石川麻呂と、皇位に就いた孝徳天皇(軽皇子)の2人しかいない。

 孝徳天皇を傀儡として政界を牛耳った石川麻呂は、将来の天皇候補である中大兄皇子に娘を嫁がせた。こうして盤石の態勢を築いたはずだったが、最大の誤算は、宮中を血で汚すこともいとわず、自ら剣をとった中大兄皇子の冷酷さを甘くみたことだった。

 わずか4年後の649年、中大兄皇子は石川麻呂を謀反(むほん)の疑いで自殺に追い込む。告発したのは別の蘇我氏だった。まさに歴史は繰り返す。石川麻呂が早々に表舞台から去ったため、その功績は臆病な男として塗り替えられることとなった。

 

蘇我倉山田石川麻呂
蘇我馬子の孫で、蝦夷は祖父、入鹿は従兄弟にあたる。蘇我一族ながら、中大兄皇子らのクーデターに加担。事前に入鹿暗殺計画を知りつつ、事件現場では皇極天皇に対する上表文を読み上げていた。乙巳の変後は右大臣に任じられて新政権の中枢に加わるなど、事件で得をした人物であることから、一族の内紛説もささやかれている。


 

《「乙巳の変」の黒幕は誰だ? 第6回へつづく》