『変貌する自民党の正体』(ベスト新書)を上梓。常に第一線のジャーナリストとして活躍したきた田原総一朗氏に話を聞いた。

Q28.1955年の結党以来、自民党はどう変わってきたのでしょうか?

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 自由民主党結党の際に掲げた最大の目標が、憲法改正と日米安保条約の改定だった。その意味で言うと、60年余りの歴史は経済重視の吉田路線と安保重視の岸路線の攻防だったと言える。もちろん、今の安倍さんは岸路線。

 ところがまず1988年にリクルート事件が勃発する。宮澤喜一蔵相に長谷川峻法相、原田憲経済企画庁長官という3人の閣僚が辞任に追い込まれて、当時の竹下内閣は大混乱に陥った。これが55年体制を崩壊させる原因になったと僕は思っている。そして89年には昭和天皇が崩御し、6月に中国では民主化を求める学生たちがデモを繰り広げた天安門事件が起きた。また、11月には東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊している。この年、日本はバブル景気の絶頂を迎えていたんだけど、その後、91年には弾け、同じ年にはソビエト連邦が消滅した。米ソの冷戦が終わったことで、日本を取り巻く安全保障も環境も大きく変貌したんです。湾岸戦争が起きたのもこの年だった。そして海部内閣の退陣によって、宮沢内閣も誕生したんだ。

 しかし、バブル後の経済対策も功を奏さず、93年8月に日本新党の細川護煕を首班とした、非自民連立政権が発足して、55年から守り続けてきた政権を初めて失った。その後、94年6月には自民が社会党委員長の村山富一を担ぎ上げて、自民・社会・新党さきがけの連立政権を発足させた。しかし在任中の1995年、阪神淡路大震災やオウム真理教の地下鉄サリン事件、それに北朝鮮の核危機、加えて財政危機などが重なって、村山首相は96年1月に辞意を表明。同月11日に橋本龍太郎が首相になった。その後、2009年8月の総選挙民主党が、3年3か月後に政権を取り戻し、今に至っている。

 7月の選挙は、第二次安倍内閣になって衆参合わせて3度目の国政選挙だった。選挙が近づくと「アベノミクス」と言い、終わると特定秘密保護法や、長い間自民党が「憲法上、認められない」と言っていた集団的自衛権を含む安保関連法を成立させてきた。いつも選挙後に国民が嫌がりそうなことをやってきたわけです。

 かつての自民党は、護憲派にリベラル派もいて、タカ派と議論をしながらバランスを取っていたと思う。それが今は見えない。自民党は大きく変わったんだよ。その理由は衆議院の選挙制度が小選挙区制に変わったことだと思う。昔は自民党の中に主流派と非主流派、それに反主流派がいて、喧々諤々の議論が交わされていた。取材をしていても党内の「けんか」の方が面白かったくらいだよ。

 でも、今は小選挙区制になって、執行部が気に入った候補者しか公認しなくなった。今は主流派も反主流派もいなくなってしまって、安倍首相の意見がストレートに通るようになってしまっているんだ。言うなれば、「不自由非民主党」になってしまったようなものです。

*

明日の第二十九回の質問は「リオデジャネイロ五輪が終わり、次は東京です。閉幕式には安倍首相も登場しましたが、オリンピックへの思いは?」です。