岐阜在中の歴史作家・鈴木輝一郎がゆるりとめぐる、戦国武将の史跡。
つい見落としてしまいがちな渋い史跡の数々を自らの足で訪ね、
一つ一つねぶるように味わい倒すルポルタージュ・ブログシリーズ開幕!

 

自分ではなかなか行かない!無造作な史跡シリーズ最新作

 

戦国時代の史跡はけっこう無造作に扱われていて、高名な戦場でも撮影ポイントに困ることがけっこうあります──っていうか、探すのがそもそもたいへん、ってことも。
今回の小木江城もそれ。
 

 


 
戦国ファンにはおなじみの城ですね。
織田信長の生涯最大のピンチ(いやまあ、本能寺を除いて、ですが)の時期。
元亀元年(1570)、新年早々、足利義昭に五箇条の殿中掟を押し付けなきゃならなくなるわ、越前朝倉攻めの最中に浅井長政に裏切られるわ、南近江で潰したはずの六角承禎の残党に次々と一揆を起こされるわ、関ケ原を浅井長政に塞がれて千草越えをしようとすると狙撃されるわ、姉川の戦いで浅井・朝倉に大勝したはずなのに浅井・朝倉連合軍に京都のすぐそばまで攻められるわ、一向宗石山本願寺が本格的に織田に敵対を表明するわ、って最中に、伊勢長島一向一揆が勃発した。

小木江城は伊勢長島一向一揆のおさえの城として築かれた。
城番として置かれた、織田信長の弟、織田信興が詰めていたんですが、長島一向一揆衆に攻められた。
信長は自分のことで手一杯で援軍を送れず、みすみす見殺しにしてしまった、という城。
ここでの信長痛恨の敗戦が、比叡山延暦寺の焼き討ちや、伊勢長島一向一揆虐殺へとむかうきっかけになる戦い。

ところが、この小木江城を探すのがたいへん。 
現在は「愛知県愛西市村仲」の「富岡神社」なんですが、この「富岡神社」、ググってもぜんぜん別のところが出てくる(涙)しかも湿地で、神社裏にはでっかいレンコン畑があるだけで、車がとめられない。
信長は「石山本願寺」とは仲が悪かったけれど、「一向宗」との関係は良好だったせいか、どうも「城」といっても駐屯地に毛の生えた程度の規模だったとは想像できるんで、その意味では、現地踏査の意味はあるんですけどね。

訪問しようというかたは、
「道の駅 立田ふれあいの里」
でカーナビで検索してください。
「立田(たった)ふれあいの里」に車を停めて、川の東側にある、こんもりしたかわいい神社が小木江城。

ちなみにこの小木江城(古木江城とも)、撮影ポイントが限られていて、誰が撮っても同じ写真になる(涙)ネットで見かける写真もみんな同じ。
ちゃんと自分で撮った証明に、ぼくの写真もいれておきます。

 



(鈴木輝一郎 小説家)