ロシアW杯に向けた最終予選が始まった。初戦UAEとの一戦に敗北を喫した日本代表はここから、厳しい戦いを乗り越えていかなければならない。

「オシムさんに出会ってサッカー観が変わった」
 サッカー選手の取材をしているとそう答える選手がとても多いことに気付く。阿部勇樹をはじめオシム氏が監督を務めた時代にジェフユナイテッド市原・千葉に所属した選手だけでなく、中村俊輔や憲剛ら、日本代表でわずかな時間を過ごした選手でもそう口を揃える。
 なかには「サッカーだけではない、人としての在りかたや、立ち居振る舞いの重要性を学びました」と、人生の師としてオシム氏を見る選手も少なくない。
 彼らは、すでに母国へ戻ったオシム氏への再会を願う。サッカーのこと、人生のこと、たくさんのことを話したがる。
 それはわれわれメディアも同じだ。ふと、彼の言葉を聞きたくなるときがある。
「オシムならどう考えたか」「オシムならば、どう言ったか」――。
 いまなお、多くの選手の心に存在し続けるイビチャ・オシムという存在。彼らはなぜ、「オシムの言葉」を求めるのか。なぜ、引き付けられるのか。
 長年にわたりオシム氏を取材し続け、2年ぶりとなるオシム氏の単著「急いてはいけない」を翻訳した田村修一氏による寄稿。
日本代表監督時代のオシム氏。中村俊輔、阿部勇樹ら多くの選手の心を摑んだ

■あきれるような言葉に深淵な意味があった

 イビチャ・オシムが日本で過ごした時間はそう長くはない。
 Jリーグ・ジェフユナイテッド千葉・市原の監督としての3年半と、日本代表監督在任中に脳梗塞に倒れ、辞任を余儀なくされ帰国するまでの2年数か月。たしかに短くもないが、それだけである。何よりオシムが日本を離れてから、すでに8年ちかくの歳月が流れた。その間、日本は2度のワールドカップに出場し、日本代表監督も岡田武史からアルベルト・ザッケローニ、ハビエル・アギーレ、ヴァイド・ハリルホジッチへと代わった。

 オシムの存在自体も、少しずつ忘却の彼方へと薄れはじめている。だが、それでも、例えば今年1月のリオ五輪アジア最終予選の際に流れたテレビ・コマーシャルのように、ひとたび公衆の面前に姿を現すと、オシムはその言葉とともに強烈なインパクトをわれわれに与える。
 相手のすべてを射抜くような鋭い視線とともに放たれた「恐れることを恐れるな」という彼のメッセージは、コマーシャルフィルムの枠を超えて見るものの心に直接突き刺さったのだった。

 普段は寡黙で、決して口数が多いわけではない。しかしひとたび話し始めると、言葉が尽きることなくあふれ出てくる。ときに考えをまとめるために、少しの間を置きながら。

 彼の帰国後に始まった足かけ10年、恐らく数百時間に及ぶオシムとの本格的な対話は、すべてフランス語でおこなわれた。私はもちろん、オシムにとっても母国語ほど饒舌ではない。だが、そうであるからこそ、その言葉はシンプルで力強く、深みがあるだけでなく遥か彼方まで見通してもいた。オシム自身も、「フランス語で考えるのは頭のいい訓練になるし、ドイツ語よりも表現しやすい」と述べていた。

 対話中は素通りした言葉でも、録音を聞き返したときにはじめてその意味に気づいたものもたくさんあった。また、シンプルな文章や言葉――なんでこんな単純なことを言っているのだろうとあきれるような――が、組み合わさると全体では深淵な内容を表現しているのだというのも、彼のテープ起こしから学んだことだった。
 それは例えばこんな言葉であったりする。
「幸いなことにサッカーはとても面白味のあるスポーツだから、若者は誰もがサッカーに熱狂する。子供たちはどこでもサッカーをプレーする。それがサッカーそのものの命を延ばしている」

 説得力があるのは、言葉が彼の存在そのものと不可分であるからなのだろう。感じるのは決してその体躯だけではない、人間としてのスケールの大きさである。
 鋭利な知性と深い洞察力、余人にはない人生の経験。
 シニカルでありながら温かい他人への視線は、まさにオシムそのものであり、彼の言葉そのものである。

「シリアスに、ノーマルに生きよ」というメッセージも、そんな人間が発するからこそ確かな意味を持つのである。