第23回 
思考と行動の両輪



図面を描く意味

 父が建築家だったので、小さな頃から僕は図面というものの存在を知っていた。なにかを作るときには、まず最初に図面を描く、という手順がある、ということをだ。
 小学二年生のとき、少年少女向けの工作雑誌を従兄弟から譲り受けたので、毎日そればかり見ていた。そこには、どのようにしてものを作るのか、という立体図が描かれていたが、それ以前に、三面図と呼ばれる、前、横、上から見た図が示され、そこに寸法が記されている。これは、建築の図面でもそうだし、たとえば自動車のカタログなどでもよく見かける一般的なものである。
 実物は立体、つまり三次元だけれど、図面は二次元なので、このように三方向から見た絵が必要になるということ。
 けれども、頭の中にある映像は、図面のように二次元ではなく、目で見たものと同じように立体であるはずだ。これはどこが違うのかというと、視点が動き、違う角度から眺める行為が伴う動画なのだ。時間軸が加わるから三次元ともいえる。
 三次元の立方体の展開図は、二次元で描くと六つの正方形になる。頭の中で、この二次元の展開図を折り曲げることができ、立体を作る様子を想像してみよう。
 同様に、四次元の立方体は、三次元の四つの立方体でできた展開図となり、これを四次元方向へ折り曲げて作ることができる。この想像は、慣れないと無理かもしれない。とにかく、人間の頭は三次元以上のものを想像することができる、ということである。
 話を図面に戻すが、僕の庭園鉄道で走っている蒸気機関車は、僕が作ったものであっても、図面を自分で描いたわけではない。それでも、製作に何年もかかった。そして、図面をすべて描くこと、つまり、デザイン(設計)することは、金属の加工などよりも、はるかに時間がかかる作業で、普通は数年から十年以上かかるといわれている。
 世界的に著名なモデラの平岡幸三氏は、非常に緻密な図面を描くことで有名な方で、世界中で彼の図面を基に機関車を作り、走らせている人が沢山いるのだが、実は、平岡氏は最近、図面を描くだけで実際に模型を作らないらしい。これが、究極の「創造」というものかもしれない。普通は、作ってみて初めて問題点がわかる(たとえば、ボルトを締めるスパナが入らないとか)。そういったことまで、すべて頭の中で処理ができないかぎり、図面だけで完結する境地には達しえない。

 

思考と行動の両輪で前進する

 僕の場合、工作のときに図面を描くことはまずない。大学では建築学を学んだし、自宅を設計して建てたこともあるけれど、よほど複雑なものにならないかぎり製図をすることはない。ただ、非常に簡単なスケッチはときどき描く。寸法的な確認をすることがメインで、パーツが収まるか、という点がどうしても頭の中の計算だけでは難しいためだ。
 それでも、慣れてくると、図面なしで作れるようになる。また、作れば、もっと複雑な設計ができるようになる。両足で歩くように、設計と製作は交互に前進する、という感覚を僕は日頃抱いている。
 これはつまり、思考があってこそ行動があるし、一方で、行動することで視点が変化し、また別の思考ができるようなる、という効果だ。
 天才といわれる人は(平岡氏のように)、思考だけで視点が動かせるのだろう。すなわち、自分の行動が読めるわけである。工作という限られた行動であれば可能かもしれない。しかし、人生を進む道においては、思考だけですべてを予測することは困難だろう。
 だから、考えて考えて考え抜いたあとは、やはり行動した方が良い。また、そこまで考えなくても、試しでやってみると案外簡単に問題点が見つかったり、別のアイデアが思い浮かぶことがあるはずだ。というか、そんな経験を重ねてきたから、僕はスケッチ程度で作ってみる人になった、というだけかもしれない。

 

夏のオープンディ

 僕の庭園鉄道は、普段は僕一人しか乗る者はいない。犬は乗るが家族は乗らない。ただ、夏の間に限り、友人がわざわざ遠方から乗りにくる。それをオープンディと呼んでいる。飛行機に乗ってきてもらって、その日が雨では残念だから、三日間開催して、参加者は庭園内のゲストハウスに宿泊してもらう。
 今年も二十名ほどの参加となった。昼はバーベキューだが、夜はゲストの自炊で、僕もご馳走になる。
 今年のメインは、先日完成したばかりの木造橋。スリルを皆さんが堪能されたことと思う。僕としては、無事故だったことが一番嬉しい。

レールカーを運転して木造橋を渡るゲスト。傍から見ると微笑ましいが、乗るとスリル満点である。