著者の中島孝志氏

『孫子』が再びブームである。孫子の兵法については、さまざまな解釈があるが、ビジネスシーンに落とし込んで、そのエッセンス応用しようというのが、中島孝志・著/『孫子の戦略 運をつかんで生きる智慧』(ベスト新書)だ。今回もその一節を紹介してみたい。

 ◆『兵は詭道なり』
 「戦争は要するに何でもありだ」
 「詭道」とは裏をかく仕業のこと。
 早い話が「騙し合い」である。

 
 日本人はこれが苦手。
 どうしても約束とか契約に縛られてしまう。大国が、勝手に約束を破って戦争を仕掛けて来ても、日本人はぎりぎりまで「約束」を信じ込んで対応しなかった。結果、敗戦で国民は悲惨な目に遭った。

 国際政治などは、騙し合いの場であるとも言える。どれだけ相手を出し抜くか、約束を破るか、が問われている。条約とは破るためにあるのだ。
 フェアプレイが尊ばれるサッカーや野球、バレーボールといった団体競技からボクシングや相撲といった個人競技に至るまで、スポーツというスポーツはすべて試合中に正々堂々と「詭道」を展開しているではないか。
 例えばフェイントがそうだ。相手の裏をかいてドリブルしてシュートを放つ。スパイクを撃つと見せかけて緩いボールを相手コートに落とす。ストレートを撃つと見せかけてアッパーカットを放つなど、スポーツでは正々堂々と詭道を行っている。
 それでいて、だれからも咎められることはない。なぜならルールで許されているからである。それどころか、詭道が上手だと「魔術師」「華麗なる職人技」と高く賞賛されるのだ。
 そう言えば、野球には「盗塁」という言葉もあった。盗んで誉められるのはこのスポーツぐらいだろう。

 どうしてそんなに高く評価されるかと言うと、「詭道」は頭脳戦だからである。力任せではなく、詭道でいちばん重要な点は「情報」にあるのだ。
 どれだけ正確な情報を、どれだけ早くつかむか。それも、相手側に知られずに、である。
 相手の情報を正確につかんで、解析して、予測を立て、相手の裏をかけば勝機をつかめる。逆に、相手に自分たちの作戦を読まれていては勝てる戦争にも勝てない。
 太平洋戦争のとき、山本五十六元帥の乗った飛行機はアメリカに撃墜されたが、すべて暗号を解読されていたのだからしょうがない。情報が筒抜けでは勝てるわけがない。
 詭道とは頭脳戦なのだ。資源や財力も大事だろうが、それ以上に頭を使うことが重要なのである。

 

◆勝てる人には勝てるだけの理由がある!

『算多きは勝ち、算少なきは勝たず。而るをいわんや算なきに於いておや。吾、これを以てこれを観るに、勝負見わる』
「勝てる見通しがなければ戦争なんてやってはいけない」

 詭道で重要なことは、もう一つある。それは「死にものぐるいでやる」ということだ。
 「戦争というのは正々堂々とやるものではなく、知恵の限りを尽くしあの手この手の方策を駆使することだ」と孫子は言っている。
 ライオンは兎一匹捕まえるのに死力を尽くすというが、まさしくそれが孫子のいう詭道なのだと私は解釈した。
 例えば圧倒的に戦力に勝るアメリカがベトナム軍相手にどうして負けたのか? 
 コンピュータ好きの国防長官ロバート・マクナマラ(当時)は兵力を投入する場合、最小限の犠牲で最大限の効果を得るためのプログラムをつくった。その結果、負けに負けた。そして、かつての日本軍のように、「おかしい、こんなはずではない」とつぶやきながら、戦力の逐次投入(少しずつ投入すること)をしてしまったのだ。
 この男、ハーバード大学の数学教授で、コンピュータで自動車の生産から販売まで一貫して低コストで流通できる工程管理を発明し、フォード自動車を劇的に儲けさせた。その経験をケネディ大統領(当時)に買われて抜擢されたのだが、商売と戦争では違った。
 アメリカは圧倒的にパワーがあるから紳士の戦いをせざるを得なかった。挙げ句の果てに戦争は泥沼化し、兵士も国民も厭戦気分。ゲリラへの恐怖を忘れるために麻薬が蔓延して士気はどんどん衰えていった。
 最後は枯れ葉剤という非人道的な(戦争に人道もへったくれもないかもしれないが)武器を導入するにいたるのである。

 ベトナム戦争以後と以前とでアメリカは様変わりした。この敗北感と不毛な時間浪費で徹底的に自信喪失状態に陥った。
 湾岸戦争時のコリン・パウエル(ブッシュ政権時の国務長官)は真逆をやった。すなわち、いきなり全兵力を投入し、即、撤退したのである。早い話が、パワーに物言わせてむちゃくちゃやれば勝てた。
 戦争は死にものぐるいでやったほうが勝つ。死にものぐるいほど怖いものはない。いまなお、アメリカが自衛隊を怖がるのは「特攻隊の記憶」がぬぐえないからである。
 強力だろうが微力だろうが、パワーは逐次投入などしてはいけない。有無を言わさずすべて投入し、一瞬でけりをつけることだ。

 勝てる人には勝てるだけの理由があるし、「やっぱりね」「そんなことだと思ってたよ」と、負ける人にも負けるだけの理由があるのだ。