写真を拡大 リギ周辺ベデカ図(1924)

 

写真を拡大 この図はサンドロ・ジークリスト著『アルト~ゴルダウ間の平坦線』Talbahn Arth-Goldau, Sandro Sigrist, Prellbock Druck & Verlag,1998の43ページにある略図をもとに描き起こしたものです

 

廃線のガーダー(橋桁)を発見

 さて、平坦線の廃線跡に戻るが、トラム通りはアルトの港から3キロ近くの坂を上りきると国鉄アルト=ゴルダウ駅に向かって急に左折するような格好で車道に合流する。しかし線路にしては少し不自然に思えたので直進方向へ行ってみた。ちょうどワゴン車が停まっていたので前方が見えなかったのだが、車の向こうへ回ると川を渡る橋桁(鋼鈑桁)が残っているではないか。タイプはそれほど古くなさそうに見えるが、ルートそのものは国鉄線がまだここに通じていない時代、1875年-日本でいえば明治8年という大昔に開通した路線の一部の可能性が高い。後で調べてみるとやはりその通りで、平坦線が分離されて駅前広場に電車が発着していた時も、登山線と共通だった車庫へ車両を回すための線路として引き続き使われていた。

 

写真を拡大 国鉄の橋梁の下にひっそり残っていたかつての橋桁。第1リギアーRigiaa橋梁 跡。廃止後に載せたのか、細いレールとリッゲンバッハ式歯軌条(おそらくレプリ カ)が取り付けられていた

 

 ゴットハルト鉄道のアルト=ゴルダウ駅ができたのは1882年(明治15)で、本来ならここはトンネルで通過するはずだったという。これは1806年(文化3)にゴルダウの北に聳える前述のロスベルク山西部(標高1668メートル)で山頂部から麓に至る大規模な土砂崩れ(山体崩壊と呼ぶ方がふさわしい?)が発生してゴルダウ周辺の村に甚大な被害が及んだことを受け、この部分を避けるべくトンネルで抜ける計画であった。

 

大規模な土砂崩れが鉄道の運命に影響

 このためゴットハルト鉄道の駅は湖岸に近いアルトまたはオーバーアルトの平地に設け、その先をトンネルで抜ける線形が予定されていたのである。だからこそ先に建設したアルト=リギ鉄道も将来駅ができそうなオーバーアルトに平坦線と登山線の機関車交換駅と車庫も設置した。

 しかしトンネル掘削のための地質調査を進めるうち予想以上に費用が嵩むことが判明、加えて経営環境が悪化したゴットハルト鉄道本体の事情のため、結局は現行のようなトンネルなしのルートに変更、アルトではなくてゴルダウの村に駅を設置することになったのである。そんな事情なのでアルト=ゴルダウという駅名になったようだ。ツークから延伸してきた線路は湖畔から新駅まで上り勾配となるため、その途中になるアルトやオーバーアルト周辺では山の中腹をひたすら上っている線形となり、駅を設置するのは不可能となった。

 ゴットハルト鉄道との連絡を考えていたアルト=リギ鉄道は梯子を外された形となり、その後は調子がおかしくなっていく。その第1段目が件のトンネル路盤切り下げで、1897年(明治30)には平坦線と登山線は完全に分離される。平坦線は1907年に電化が完成、わずか3キロのローカル電車としてしばらく走ったが、こちらの採算性は良くなく、結局は第二次大戦後の1959年に廃止されてしまった。

 ほとんど地震のないスイスにとって、この土砂崩れは死者457人、100棟以上の家屋、220棟の畜舎・納屋、2つの教会と2つのチャペルが破壊された大惨事で、14世紀のバーゼル地震以来、現在に至るまで国内最大の自然災害という。夕陽を浴びて輝く峰々と麓でのんびり草を食む牛たちを見ていると、そんなカタストロフが起きたなど信じられない思いだが、結局はその災害が回り回って電車の運命も左右したことになりそうだ。

 

写真を拡大 スイス国鉄アルト=ゴルダウArth-Goldau駅。諸事情でリギを経由できずゴルダ ウに建設されたため、開業以来ずっと連称駅名となっている。1806年の土砂崩れ「ゴルダウ崩れ」の被災地だが、今は北口にあるスイス有数の動物園でも知られている。
写真を拡大 現在は登山線のみとなったアルト=リギ鉄道の終点・リギ・クルムRigi-Kulm駅からツーク湖Zugerseeを俯瞰したところ。湖の右端に見える集落がアルトの町。