■即興演奏のようなインタビュー

9月に刊行されたサッカー日本代表元監督のイビチャ・オシム氏の書籍「急いてはいけない」。阿部勇樹、佐藤勇人、柏木陽介ら現役の選手やジャーナリスト、社会人などさまざまな人がオシムに聞いてみたかったことをぶつけ、それに対するオシムの答えをまとめたものなのだが……本書の「はじめに」にもあるように、そうは簡単にはすすまなかった。

訳者の田村修一氏は言う。

「質問表を見て、じっと黙る。紙をそっと机に置いた。今回は失敗したか――、そう思った」

これまで10数年間にわたり、オシム氏と数百時間に及ぶ対話をしてきた田村氏。オシム氏との対話はいつも緊張感があったという。

「質問の内容以上に、人としてオシムとどう対峙するか。人間対人間の言葉のやりとりでありコミュニケーションでもある。もちろん私は聞く立場、彼は答える立場にあるわけですが、決して上下関係ではない。対等な関係の人間同士のコミュニケーションを、彼のような人間とどうすれば築くことができるのか。考えていたのは常にそういうことでした。もちろんそれぞれのテーマについては、入念な準備をしましたし、質問表も用意しました。たとえばユーゴスラビアが準々決勝でフランスを破り、決勝は再試合の末にイタリアに敗れたEURO68がテーマだったときなどは、フランスフットボール誌の編集部で当時の記事をすべてコピーしてオシムにも渡しました。ただ、それはあくまでも資料でしかないし、質問表も質問表でしかない。実際のインタビューはひとつの即興演奏のようなものです。特にオシムの場合、言葉が思わぬ方向から飛んでくる。こちらはそれをその場で臨機応変に受け止めて、大きな枠のなかでひとつのテーマに収斂させていこうとするのですが、そこは彼もちゃんとわかっていて、最終的には常にこちらの聞きたいことに答えてくれました。ただ、言葉の振れ幅が彼は特に大きく深いので、こちらが予想した以上のことをいつも返してくれたのですが、後でそれに気づいたことも何度かありました」(田村氏)

この取材も、アプローチを間違えたかと思った矢先、オシムは語り始めた。止まることなく。結果として、オシムは質問に対して直接答えを述べることはなかった。それではオシムは、いったい何を語ったのだろうか……。

今回は、いまなお多くの人から支持されるオシム氏と多くの対話をし続けた田村氏に、その知られざる一面を聞く、その第一回目(全3回予定)。

■オシムとの「出会い」

――田村さんが「イビチャ・オシム」の名前を初めて耳にしたのはいつですか。

田村 オシムという名前を知ったのは1990年のイタリアワールドカップのときです。とてもよく覚えていますね。といっても、実際に試合を観たとか、インタビューをして知ったとかいうわけではないんです。