織田信長肖像画(写真提供/アフロ)
天下統一を目指す過程で、最もTPOに適した場所に城を移していった信長。先進かつ合理的だった移転の狙いとは? 歴代の居城をたどってみる。

『信長公記(しんちょうこうき)』等の記録によると、その内部には、どの階にも、数多くの畳の間や納戸(なんど)が続き、各部屋には、狩野永徳(注・かのう えいとく)一派が描いた襖絵(ふすまえ)で飾られ、中国故事など襖絵の画題に応じた名前がつけられていた。

また、柱は朱塗りで金銀の飾り金具で飾られ荘厳であったという。そしてその最上階に信長の座所があったという。 

安土城の築城を始めた天正4年(1576)には、信長はほぼ天下を手中に収めていた。正親町(おおぎまち)天皇は、信長を征夷大将軍に任命し幕府を開くことを薦めたが、信長はその薦めに従わなかった。

さらに天皇は官位の叙任を進めた。天皇はかねてから健康を理由に誠仁(さねひと)親王に譲位を計画していたが、儀式に莫大な金がかかるので、信長を頼りにしていた。(続く)

(注)正親町天皇/第106代天皇。後奈良天皇の第一皇子で母は万里小路賢房の娘吉徳門院栄子。永禄3年(1560)、毛利元就の援助で即位礼を挙行。織田信長、豊臣秀吉の最盛期、皇室の権威維持に努めた。文禄2年(1593)崩御、77歳。

 

●安土城データ
城の種類/山城
所在地/滋賀県蒲生郡安土町
築城年/天正4年(1576)
施設/天主、本丸、二の丸、三の丸、摠見寺、家臣の屋敷など

 

文/木戸雅寿(きど・まさあき)

1958年神戸市生まれ。奈良大学文学部史学科考古学専攻卒業。広島県草戸千軒町遺跡調査研究所、滋賀県安土城郭調査研究所を経て、現在滋賀県教育委員会文化財保護課。専門は日本考古学。主な著書に『よみがえる安土城』(吉川弘文館)、『天下布武の城 安土城』(新泉社)等。