第24回 
トラブルがあるのが普通


トラブルを想定する

 なにごともそうだが、未来を悲観的に考えることが基本だ、と僕は思っている。自分がやろうとしていることに対しては特にそうだ。上手くいかないだろう、成功するなんて可能性は低い、という見方を常にしている。
 こんなふうだから、奥様(あえて敬称)から相談を受けた場合にも、つい心配な点を指摘してしまい、「どうして、そんなに反対ばかりするの?」と叱られることが多い。だが、ものごとを成功させたかったら、とにかく徹底的に心配することが大事なのである。
 多くの失敗は、楽観的な予測から生じている。まさか悪い事態が重なったりしないだろう、と勝手に思い込むし、そこまで酷くはならないだろう、と最悪のケースを考えない。考えないようにしている。
 たとえば、スポーツ選手などは、試合のまえにもの凄い楽観的なコメントをするし、たぶん、会社の経営者、政界のリーダなども前向きなことしか言わないだろう。そうしないと、周囲がやる気を失うからだが、しかし、実際に心の中で思っていることはそうではないはずだ。
 危ないのは、この種の楽観的な物言いを、言葉のまま真に受けてしまった人である。都合の良いことばかり考えてしまうので、やる気は出るかもしれないが、結果には絶望するしかない。悪いことを考えると、それに取り憑かれてしまい、ろくなことはない、などとおっしゃる方も多いのだが、これこそが失敗する人の精神論と呼ぶべきものだ。もう少し強い言葉であえて表現すると、「楽観は馬鹿でもできる」となる。

 

注意力は危険察知力

 物事に注意をするのは、目ではなく頭の仕事である。つまり視力ではなく思考力だ。また、性格というか、脳のタイプが多分に影響する。デフォルトでは注意ができない脳もあるらしい。けれども、とにかくいつも自分に語りかけ、注意をしろ、心配しろ、どこかに落とし穴はないか、と危機感を煽ることしかない。こういった「心配の努力」を怠っていると、必ずトラブルが起こるし、被害が大きくなる。なんというのか、まさに覿面(てきめん)といえる。
 そこまで心配し、注意を怠らない、それでもトラブルは起こるのだ。避けられないともいえる。しかし、少なくとも大事に至らないレベルで止められるだろう。最終的にはそこに差が出る。だから、「どうせトラブルが起こるのだから、無駄な努力はよそう」は、間違った認識である。心配し、悲観し、注意した分だけ、成功の確率は高くなり、道はより安全になる。
 おそらく、楽観的に考えてしまう頭は、「願望」に支配されているのだろう。望みや願いは、人間にとって不可欠な要素ではあるけれど、それを自分の「意見」「進め方」「方針」だと勘違いすると痛い目に遭う。願望とは、単なる目標にすぎない。その目標を達成するためには、悲観的観測が不可欠なのだ。
 「石橋を叩いて渡る」という諺(ことわざ)がある。心配性や神経質が過ぎると、叩いたすえに渡らない、となってしまい、これでは本末転倒だ。また、叩きすぎて橋に損傷を与える場合もある。心配しすぎることが仇(あだ)となる、笑えない事態も、実際にあるのだ。
 どうしたら良いのか。つまり、どの程度まで石橋を叩くべきなのかを知っていることが大事である。それには、いろいろなレベルで心配し叩いた経験がものを言う。ここまで対処しても駄目だった、という段階を重ねていくことで、心配のレベル設定が最適化する。このあたりは、試行錯誤を続けて学ぶしかない。試してみて失敗するのは、「失敗の練習」である。データを蓄積することで、成功がしっかりと見えてくる。

 

最近の研究

 大学にいたときの研究は、すべて後進に譲った。その後も個人的にいろいろ研究に手を出しているが、最も力を入れているのは、ジャイロモノレールである(詳しく知りたい人は検索して下さい)。
 8年まえから研究を始め、理論構築と実験を繰り返し、模型を試作して実証してきた。最終的な目的は、人が乗る大きさの実機を実現することだが、進みはとても遅いから、まだしばらく時間がかかるだろう。
 昨年と今年は、模型の十二号機を製作し、庭園内で走らせている。普段遊んでいる線路のうち片側一本のレールの上を走る。左右に倒れず、バランスを取る機構を持っている。この乗り物は実用化はしない。何故なら、メリットよりデメリットが大きすぎるからだ。したがって、あくまでも趣味的な存在といえる。
 したがって、非営利の個人研究者以外、見向きもしないだろう。その無駄さが、最高の贅沢である。

YouTubeに動画をアップしたので、興味のある方は、Gyro monorail No.12で検索してご覧下さい。