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俗に腹上死というが、べつに男が性交中に(女の腹の上で)死ぬわけではない。『温かい死体と冷たい死体』(上野正彦著、朝日新聞出版)によると、性行為が終わったあとしばらくして発作をおこし、死亡するのが大多数だとか。正確な死因は心筋梗塞である。

なお、腹上死は夫婦間の性行為ではほとんどないという。たいていは不倫の関係の性交渉で男は腹上死する。やはりうしろめたさがあり、それが精神的な緊張につながっているのだろうか。逆に言えばそれだけ不倫には甘美な味があるということかもしれない。

さて、江戸時代の史料に腹上死に関するものはほとんどないが、当時の男が腹上死をしなかったわけではあるまい。房事が終わったあとしばらくして、男が急に胸を押さえ、「く、苦しい……」と苦しみ出し、死亡する。情交からあいだがあいているため、人々は「腹上死」とは思わなかったのであろう。

『藤岡屋日記』に、腹上死とおぼしき事件が記載されている。嘉永5年(1852)、吉原の勢喜長屋という切見世で、武家屋敷の中間(ちゅうげん/武家に仕える庶民)風の男が遊女を買った。切見世は、吉原の隅にあった格安の女郎屋である。長屋形式で、ちょんの間の春を売った。情交を終えてしばらくして、男は急に苦しみ出し、そのまま頓死してしまった。困ったのが勢喜長屋である。中間らしいというだけで、身元は不明である。体を調べると、太腿の内側に「おかめ」の彫物があった。そこで男の遺体は大門の外の高札場に3日のあいだ晒され、おかめの彫物があることを記した立札がかたわらに立てられた。このおかめの彫物が手掛かりになって、男の身元が判明した。神田明神下ににある旗本の屋敷の中間で、43歳だった。

人生50年といわれていた時代である。43歳は現在の60代に相当するであろう。状況から見て、情交の興奮が引き金になった心筋梗塞に違いない。つまり、腹上死だった。

それにしても、身元をたしかめるためとはいえ、遺体を晒し者にしている。現代の感覚ではとうてい容認できない人権蹂躙である。この背景には当時の身分制があった。男が庶民だったからである。もし男が武士であれば、遺体を晒し者にはしなかったろう。