「辛くても現実肯定」という流れ

イラスト/山田玲司

 去年の夏は「マッドマックス」で、夏が終わっての「スターウォーズ7」だった。今年は「シンゴジラ」からの「君の名は。」と、映画館が盛り上がっている。

 ヒットした漫画の原作で手堅くビジネスしよう、みたいな映画ばかりで、映画から気持ちが離れつつあった観客が「これなら観たい」と思える映画が増えてきたとも言える。
 少し前の宮﨑駿の「風立ちぬ」や「永遠の0」の様な「おじいちゃんの映画」についていけなかった若者が、共感できる映画が増えたのは喜ばしい。
 決定的なのは「ここではないどこか」で冒険するファンタジーから目を覚まさなきゃ、と思い始めていた若い世代の変化だろう。
 若い世代以外の人達も、いつまでも「ハリーポッター」みたいな世界で遊んでいる場合じゃないと、思い始めている。
「こんな異常な世界だけれど、ここで生きていくんだ」という覚悟をしたがっているわけだ。

 そんな気分の人達に去年の「マッドマックス」は、「ここじゃない世界なんかに希望を持つな」と言って、わずかな居住地を奪還するために戦い、圧倒的に受け入れられた。
「今は不安定なニートだけどそれも楽しんでいける」と言っているアニメ「おそ松さん」もその「辛くても現実肯定」の流れにあるだろう。
 少し遡ると「アナと雪の女王」がすでにそういう種類の「異常な現実(自分)を肯定してここで生きていこう」というメッセージを内包していたし「脱ファンタジー」の流れは決定的だったのだ。

 

現代日本人の夢が託された「シンゴジラ」と「君の名は。」

 高齢化もいい加減凄いところまで進んでいて、団塊世代がいよいよ70代に突入しようとしている。
 今思えば「3丁目の夕日」や「永遠の0」なんかは、その人達のための映画で、人生の黄昏に「あの頃」を語って・・みたいなノリに現役労働者世代は付き合わされていたのだろう。
 そこに来ての「ゴジラ」は、またいつもの「思い出コンテンツ」かと思いきや、監督のいびつで偏った感覚が生み出した「実験映画」のような作品だった。

 この映画がヒットした理由は数多くあるのだけれど、大きいのはこの映画に現代日本人の「夢」が強く込められている事だろう。
 それは「私たちはこの国(世界)で生きていこうと思うんだから、政治家や官僚もがんばってくださいよ!」という「夢」だ。
 日本人は「お上」や「王様」や「貴族」が好きな傾向がある。「水戸黄門」しかり、「暴れん坊将軍」しかり、「太陽にほえろ!」や「パトレイバー」など、公務員のヒーローがやたらと多い国なのだ。
 これは「難しいことは偉い人がなんとかしてくれるだろう」という思いが強い、ということでもある。
「自分で考えて行動できない情けない国民だ」みたいな批判はともかく、これが日本の国民性なのだと思う。お上(偉い人)には期待したいのが大多数の日本人なのだ。

 ところが「現実のお上」はがっかりさせられる事ばかりだ。特に東北震災の時の政府の対応に失望した人は多かった。
「シンゴジラ」は、そんな「情けないお上」を風刺しつつ「頑張る若いお上」に大活躍させたのだ。
 現実の「お上」がどうかはわからないけれど、これが日本人の多くの「希望」だし「夢」なのだろう。冷却させられるゴジラは、原発事故で収拾がつかないままの「デブリ」にも見える。
 あの映画で感情を揺さぶられた人の中には「どうかこの核の悪夢を終わらせてくれよ、偉い人たち」という悲痛な思いがあるのだと思う。

 もう1つの大ヒット作「君の名は。」では「好きな人に会えない」という事が強く語られる。
 こちらもまた「いいかげんファンタジーは卒業したい」という今の若い世代の気分にヒットしたのだろう。今もアニメでは大量の美少女キャラが溢れ、AKB型集団アイドルも各地で頑張っているものの、そろそろ魔法が尽きてきた感じだ。
「会えるアイドル」も本当は「ちょっとだけ握手してくれる」だけで、自分のものにはならない。これは「男性アイドル」や「イケメンキャラ」を追いかけてきた女の子たちにも共通の気分だった。
 そんな「そろそろ運命の人に会いたい」という観客の気持ちに対して「いつか必ず会えるよ」という所までいい切ったのが「君の名は。」なのだ。
 これもまた現代日本人の「夢」を映画が叶えた、というケースだった。
 SNSで容易に繋がり、街にはうんざりするほどの人が溢れているけど、ほとんどの日本人は「愛する人には会えない」のだ。

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