武士と言っても、御家人や務番武士などの下級クラスになると、生活レベルは町人と大差はない。奉公人を抱え入れるような家計の余裕はない以上、食事も妻が用意するか、独身者ならば自分で用意しなければならなかった。元禄以降は、1日3食が普通となるが、食事の度に自炊したのではない。上級武士は別として、朝に炊事し、昼と晩は朝に炊いたご飯で済ませるのが普通。炊事の労力を考えれば、それもうなづける。おかずも、朝は焼き味噌や豆腐であり、昼と晩は一汁二菜が一般的だった。家族が個々に箱膳を持ち出し、家族一緒に食べたのである。

苦しい家庭事情を踏まえ、食材などを共同購入することも珍しくなかった。酒は共同で大量に買い、酒代を抑えている。升(ます)ではなく3斗5升入りの樽で買ったのだ。購入した樽酒を分配したが、嗜好品のお茶や煙草、あるいは 燃料である炭なども共同購入で出費を極力抑えていた。調味料の味噌や醤油に至っては自家製も多かった。まさに手前味噌だ。食卓にあげるタクアンなどの漬物も自家製だった。

屋敷内にも菜園はあったが、排泄物を汲み取りにやって来る江戸近郊の農民が、汲み取り代として茄子や大根を納入したため、それを漬物にしている。武家屋敷から出る排泄物は肥料価値が高いとして人気が高く、代金を払い汲みとったのだ。独身者となると、炊事するよりも、「まかない屋」と呼ばれた業者に食事を届けさせたり、棒手振り(ぼてふり※)から食材を購入するのが一般的だった。時代劇を見ていると、屋台で蕎麦を食べる場面がよく出てくるが、蕎麦や握り鮨などファーストフードへの依存度も高かった。

ちなみに武士が口にしなかった食べ物に「コノシロ」「マグロ」などがある。「コノシロ」は「この城を食う」「この城を焼く」に通じ、謀反を起こすと誤解されないように。「マグロ」は「シビ」ともいい「死日」に聞こえるという理由。どちらも縁起が悪い魚として武士に避けられていた。

※ 棒手振り……てんびん棒をかついで魚や青物などを売り歩く人。

賑わいを見せる江戸の蕎麦屋。「大江戸芝居年中行事 風聞き」国立国会図書館所蔵

 

文・安藤優一郎(歴史家)