イラスト/フォトライブラリー

いまでは話題にもならないが、かつて有名大学の女子学生がフーゾクでアルバイトしていることが週刊誌やスポーツ新聞でしきりに取り上げられた時期がある。そのフーゾク店にはきっと客が詰めかけたであろう。

『耳袋』につぎのような話がある。著者の根岸鎮衛は江戸町奉行である。江戸城のお坊主から聞いた話だという。そのお坊主は御茶壺道中の件で毎年、京都に出かけていた。

江戸の男が京都に滞在中、冗談半分、宿屋の亭主に持ちかけた。
「京都の遊女は東女(あずまおんな)とは違い、やさしいということですが、できることなら、遊女ではなく、素人の女としてみたいものですな。京女と寝たといえば、江戸に帰ってからの土産話になります」
すると、亭主が言った。
「物入りさえ覚悟していただければ、御所に勤めているお公家の女をご紹介できますよ」
「え、本当ですか。是非、お願いします。金に糸目はつけませんから」
男は亭主に頼み込んだ。

数日後、亭主は、
「では、祗園でお望みをかなえましょう」
と言い、まず手付金を要求した。昼過ぎ、共に祗園の茶屋に出向き、酒を飲みながら待ち受ける。やがて、豪華な駕籠で二十歳くらいの雅な女がやってきた。局のような老女が付き添い、六十歳くらいの武士が供をしていた。

いかにも公家の娘らしき気品に圧倒され、男はまともに顔をあげることもできない。そばから、老女が娘に言った。
「きょうは寺社の代参で、お忍びの外出でございます。堅苦しい礼儀は抜きで、御酒でも呑みながら、うちくつろいで鄙の話などうけたまわってはいかかですか」
また男に、
「われらはちと、見物したいところもございますので」
と言い残すや、老武士と老女は座敷から出て行った。案内してきた宿屋の亭主も気をきかせて座敷から姿を消す。あとは、公家の娘と男のふたりきりである。しっぽり濡れ、男は望みをかなえた。その後、戻ってきた老女・老武士への謝礼、茶屋への払い、駕籠かき人足への祝儀、宿屋の亭主への謝礼など、合わせて五、六十両かかった。

後日、女は公家の娘などではなく、京都で「白人(はくじん)」、江戸では「地獄」と呼ばれる私娼とわかった。供の武士や老女もみな偽せ者だった。白人とのたった一度の情交に大金を使ったのである。

それにしても、好色な男の愚かさは江戸もいまも、変わらないというべきか。