イラスト/フォトライブラリー

『真佐喜のかつら』や『きゝのまにまに』に、女の陰門から男根がはえてきて、男に変身したという話が掲載されている――。

牛込若宮町で酒屋を営む又蔵の娘おさとは、市谷田町に住む寺子屋師匠の家に住み込みで下女奉公をしていた。安政2年(1855)、おさとは15歳になった。4月ころ、おさとは股間に異常を覚えた。なんと、陰茎が生えてきたのだ。しばらくして、完全に男の体となった。

このことを知って、寺子屋師匠は、
「男に下女奉公をさせるわけにはいかぬ」
と、暇を出して親元に帰した。戻ってきたおさとから事情を聞き、父親の又蔵も驚いた。
「前をまくって、見せてみろ」
まじまじとながめたが、まぎれもない陰茎である。又蔵は、
「娘が男になりました」
と、牛込若宮町の名主の仁平に届け出た。

仁平も半信半疑で、おさとを呼び寄せ、じっくり検分した。やはり、まぎれもない陰茎である。このままにはしておけないため、仁平は委細を文書にしたため、5月1日、町奉行の池田播磨守(はりまのかみ)に届け出た。池田の裁定は、
「前髪を落とし、男の名に改名せよ」
というものだった。おさとは文吉と名をあらためた。

ところで『天明紀聞寛政紀聞』には、上記の事件のおよそ60年前の寛政10年(1798)、百姓の娘のおそねが27歳のとき、陰門が痛み出し、やがて陰茎が生えてきたという記述がある。『天明紀聞寛政紀聞』に記載されたデマが、時を経てふたたび蒸し返され、『真佐喜のかつら』や『きゝのまにまに』に収録されたのだろうか。いわば、都市伝説であろうか。それとも、本当の話なのだろうか。

誕生時、陰茎や睾丸が体内に隠れていたため、外見から女と判断される例がないわけではないという。医学の水準が低かった江戸時代であれば、そういう「誤診」も多かったであろう。思春期になって、陰茎が外に露出してきたのだろうか。このあたりについては、筆者は医学の専門家ではないので、なんとも言えない。

それにしても、町奉行の池田播磨守の裁定は、なかなか人情の機微を心得た判断といえよう。おさとこと文吉はその後、男としての人生を送ったのだろうか。そのあたりは、史料にはいっさい書かれていない。