打ち揃って山本を訪れ、作戦中止を訴える部下の話に耳を傾けた山本は、「そんなに投機的投機的と言うなよ。君たちの言うことも一理あるが、僕の言うこともよく研究してくれ」と言い、協力を求めた。帰り際、山本は甲板まで見送り、第1航空艦隊の草鹿龍之介参謀長の肩をたたき、「草鹿君、君の言うことはよくわかった。しかし、真珠湾攻撃は今日、私の信念である。今後はどうか私の信念を実現することに全力を尽くしてくれ。そしてこの計画は全部君に一任する」と語りかけた。この瞬間、全知全能を尽くそうと誓った、とは草鹿の回想である。

 しかし、軍令部はなかなかウンと言わない。最後には黒島亀人作戦参謀を軍令部に派遣して説得にあたらせた。極めつきは「作戦が容れられないなら長官を辞するしかない」だった。びっくりした伊藤整一次長は、ただちに永野修身総長にその意思を取り次いだ。山本の決意を知った永野はその場で山本の言うとおりにすると裁定した。

 しかし福留は最後まで信じられず、草鹿に対して同期生の気安さから「ほんとうにしっかりやってくれ。奇襲が成功したら全員二階級特進させ、記念碑を建ててやる」と言ったそうだ。

 真珠湾奇襲作戦の成功し、山本は“時代の英雄”となった。日本海軍は真珠湾に続くマレー沖海戦でシンガポール近海から、続くインド洋作戦でインド洋から、イギリス海軍を駆逐した。さらに珊瑚海海戦では米空母2隻を葬り(実際は1隻だったが、そのように報じられた)、その名声はますます高まった。

 

真珠湾攻撃に向かう日本海軍の97式艦上攻撃機