織田信長肖像画(写真提供/アフロ)
天下統一を目指す過程で、最もTPOに適した場所に城を移していった信長。先進かつ合理的だった移転の狙いとは? 歴代の居城をたどってみる。

 

城と琵琶湖に近いところに家臣団屋敷を置き、街道沿いに町屋を造った。近世城郭は本来、大手道を中心として城の前面に町屋が広がるが、安土城はこのように元あった古い町並みを利用したため、城との位置関係がずれる。

フロイス『日本史』(注)によれば、町には神学校や教会も建てられ、楽市楽座により全国から人が集まり大層賑わっていたという。また、街道は常に掃き清められ、ゴミひとつ落ちていなかったと伝える。

町の全体像は、伝承では惣構えや柵、百間堀で城下が囲われていたという説もあるが、正確なことは判っていない。信長は、さらに大手前の広い空き地に町を展開しようとしたと思われ、広大な土地を残していた。

残念ながら、その土地を活用することなく信長はこの世を去った。ある意味、安土は首都となりそこなった町といえるかもしれない。(了)

 

(注)戦国時代末期、日本でキリスト教の布教活動を行ったイエズス会宣教師ルイス・フロイスによる歴史書。天正11年(1583)、イエズス会の上長より執筆を命じられた。文禄2年(1593)までの布教の歴史(一部1594年の記述あり)を編年的に記述。

 

●安土城データ
城の種類/山城
所在地/滋賀県蒲生郡安土町
築城年/天正4年(1576)
施設/天主、本丸、二の丸、三の丸、摠見寺、家臣の屋敷など

 

文/木戸雅寿(きど・まさあき)

1958年神戸市生まれ。奈良大学文学部史学科考古学専攻卒業。広島県草戸千軒町遺跡調査研究所、滋賀県安土城郭調査研究所を経て、現在滋賀県教育委員会文化財保護課。専門は日本考古学。主な著書に『よみがえる安土城』(吉川弘文館)、『天下布武の城 安土城』(新泉社)等。