「いま誇るべき日本人の精神」(ベスト新書)を上梓。日本人は戦後いかに変わり、そして大事なものを失ってしまったのか。また日本人が本来もつ美徳とは何なのか。保守派の重鎮である加瀬英明氏から話を聞いた。

 日本は心と、和の国である。だが、「心」と「和」という言葉は、日本にしかない。

 

 もちろん、西洋人にも、中国人にも、インド人にも、心がある。だが、その人そのひとだけが持っている心である。
  日本で「心」という時には、自分だけが持っている心ではなく、人々と分かち合っているものだ。
 
 私は仕事のために、全二〇巻の国語大辞典を所蔵しているが、「心」が上につく言葉をひいてみると、「心合わせ」「心意気」「心一杯」「心有り」「心得」「心覚え」「心掛け」「心配り」「心様」「心尽し」といったように、四〇〇近い言葉が目白押しになって、でてくる。

  三省堂の『最新コンサイス英和辞典』でハート(heart)という言葉をひいてみると、heartache(心痛)、heartbeat(心臓の鼓動)から、heartwood(材木の心材)など、十六の熟語しかない。
  私は、英語屋だ。全三巻の英英辞典である『Webster’s Third New International Dictionary』(ウェブスターズ・サード・ニュー・インターナショナル・ディクショナリー)を使っているが、heartが頭についた言葉は、四十あまりしかでてこない。
  「和」も、日本に独特な言葉だ。しかし、読者から、英語で「ハーモニー(harmony)」(調和)というではないかと、反論されるかもしれない。

   だが、「ハーモニー」は、「和」とまったく違う。一人ひとりが、あることについて参加するのに当たって、合わせようと思い立って、もたらされるものだ。
  日本の「和」は、人と人のあいだの絆として、はじめから存在しているものだ。合わせようと思って、もたらされるのではなく、はじめから心を分ち合っているから、和が存在している。

「平和憲法」が定着しているのは、日本に独特な現象である。
 日本以外の国民なら、自国の「安全と生存」を「平和を愛する(全世界の)諸国民の公正と信義」に委ねるという憲法の前文が、噴飯物だとして、吐き出してしまうことだろう。
 ところが、日本では和を尊んで、江戸時代を通じて三世紀近く平和が保たれたために、きっと世界にも、「和」が通用すると、思い込んでいるのだろう。
 国連のどの加盟国も、国連が闘争の場であると見ているのに、日本人だけが「平和の殿堂」だという夢を描くのも、そのためであるにちがいない。

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