<第56回>

10月×日

【「千円カット 評価」】

 

世の中には「実力は十分なのに、評価が伴っていないもの」が数多く存在する。

たとえば、マッサージチェア。あれは素晴らしい発明である。100円かそこらで、等価以上の快楽を約束してくれる。タダ同然の料金で、見ず知らずの人間の身体を、揉みほぐしてくれるのである。しかも機械であるから「こんどはアタシをマッサージして」とか「今日は仕事で疲れてるから、あなたの身体には触りたくない」とか「ねえ、会うたびにマッサージばかり求めないでよ…」とか「週末はマッサージ抜きにして、一緒に品川アクアスタジアムに行きたい」とか、そういっためんどくさいことは一切言ってこない。マッサージチェアは、人類にとって一番手頃で使い勝手のいいアンドロイドである。もっと評価されていいはずだと、僕は思う。

それから、すあま。つまり、あの甘い餅である。たまにコンビニのレジのところで30円というぞんざいな値段を付けられて売られているが、あれはかなりの実力を有していると思う。甘くて、柔らかくて、可愛い。三冠王だ。たぶんだが、すあまを嫌いな人などいない。なのに我々は、すあまを漢字でどう表記するのかさえ、知らないのだ。「酢甘」なのか?それとも「素甘」なのか?もしかして「笑ゥせぇるすまん」に出てくるBARみたいな表記で、「巣亞魔」なのか?もっとすあまにスポットライトをあてるべきだと、僕は思う。

そして、千円カットである。

千円カットをバカにするな、と声を大にして主張したい。

ネットで「千円カット 評価 」を検索すると、ネガティブな意見ばかりが散見される。

どうやら千円カットは「ダサい」の代名詞になっているようだ。

懺悔しよう。僕もかつては千円カットに対して「ダサい人が、よりダサくなるために行く場所」というイメージを持っていた。だからずっと美容院に通っていた。

しかし、一年前。僕は美容院に対しての苦手意識が膨れていく時期があった。詳しい顛末は以前、この連載の第7回で触れている。そしてあのあと、ものは試しと、千円カットの店の扉を叩いたのである。

そこは天国であった。

美容院で髪を切ってもらう最中、なによりも苦痛なのは美容師さんとコミュニケーションをとらなければならないという点だ。しかし千円カットの店は、コミュニケーションは一切不要、店員さんは終始無言である。一度、店の中に僕しか客がいなかった時など、無音すぎて「あれ?ここって、深海?」と勘違いしそうになったほどである。

心地よい静寂の世界が、そこにはある。

そして気になる店員さんの腕前だが、まったく問題はない。「千円カット 腕前が良い 理由」で検索してみよう。千円カットに勤めている人たちは10分かそこらで客の髪を切らなきゃいけないわけで、そんだけスピーディーに仕上げられるということはきちんとした技術を持っている、ということなのだそうだ。

つまり、「腕はあるけど客とコミュニケーションをとるのが苦手」な店員さんたちが千円カットに集まるのである。

僕が千円カットを気に入っている理由は、もうひとつある。それは「お母さんに切ってもらっている」気分にさせてくれる点だ。

幼き日。庭にブルーシートが敷かれると、それが母に髪を切られる合図だった。

不器用なハサミさばきで、ジョキジョキと毛の束がシートの上に落ちて行く。

どんな髪型にされるかわからないというドキドキ感。母子の間に流れる妙な無言の時間。切り終わったあと、首筋をチクチクと刺すこまかい毛。

千円カットで髪を切ってもらっていると、おもわず散髪にまつわる母との思い出を追憶している自分がいる。

そして「ああ、お母さん。あの時は模倣犯みたいな髪型にされて怒った僕だけど、いまではあなたの手を離れ、こうして見ず知らずの他人に千円を渡して散髪してもらっている僕がいます…」とヨイトマケの唄の世界に浸るのである。

千円カットは、ノスタルジーの世界。母とのかつての優しい時間を想起するために、僕は千円カットに通っているのかもしれない。

千円カットの店員からしたら、迷惑なだけの話だとは思う。

 

 

*本連載は、毎週水曜日に更新予定です。

*本連載に関するご意見・ご要望は「kkbest.books■gmail.com」までお送りください(■を@に変えてください)