日本史の教科書に載っていることでも知られる、国宝・薬師寺東塔。この東塔ばかりが有名になってしまい、つい忘れられがちですが、薬師寺には西塔もあるのです。さて、この薬師寺東塔と西塔、よく見比べると、形状が少し違うことに気づきます。両塔は対を成しているにもかかわらず、いったいなぜなのでしょうか?


非対照の西塔はわざと作られた

 薬師寺というと、創建当時の遺構が残っているとされている、国宝の東塔が有名でしょう。そして、あまり多くの人には知られていませんが、そういうからには、薬師寺西塔もあるということです。

大池から見た薬師寺。左から金堂、西塔、東塔。

 東塔については、『扶桑略記(ふそうりゃっき)』という書物に730年に建立されたことが明記されているのですが、西塔の建立についての明記は見当たりません。『薬師寺縁起』に、747年に「宝塔四基二口在本寺」という記述がありますので、遅くとも、この頃までに西塔も建てられていたものと考えられます。
 東塔は創建以来いくつもの戦禍や火災をくぐり抜け、何度かの解体修理によって、薬師寺伽藍唯一の創建時の建築物として今日までのこっているのですが、西塔は1528年、兵火によって金堂、講堂、中門、僧坊などとともに焼亡しました。
 以来、薬師寺にのこされた伽藍は東院堂(鎌倉時代の再建)と東塔だけになってしまっていましたが、1960年代後半以降に復興事業が進められ、1981年、453年ぶりに、薬師寺に東西両塔が並び、2002年までに中門、回廊、大講堂が次々と再建されました。

 さて、その再建された西塔と東塔とを注意深く見比べますと、単なる新旧、色の違いのほかに屋根の反りの違い、連子窓(れんじまど)の有無などいくつかの相違点に気づき、両塔から受ける印象の違いをはっきりと感じます。
 それは、基壇の高さが東塔より約80センチメートル高く、1.4メートルに高められていること、初重の柱高が約15センチメートル高くなっていること、各層の屋根の出が約30センチメートル長いこと、つまり、軒の幅(軒口)が約60センチメートル長くなっていること、各重、特に三重の屋根の勾配がゆるいこと、東塔の裳階下が白壁になっているのに対し、西塔には連子窓が設けられていることなどによるものです。
 西塔の塔高自体も東塔よりも約30センチメートル高くなっており、基壇の高さの差を加えますと、西塔は東塔よりも約1.1メートル高くなっているわけですが、棟梁によれば、東西両塔の大きさ、形状の違いは木材の乾燥収縮を、基壇の高さの違いは地盤沈下を考慮したものであり、500年後には東西両塔が同じ高さになり、1000年後には屋根が設計どおりの形状になるのだそうです。
 日本の伝統的職人は、本気で500年、1000年先のことを考えているのです。