イラスト/フォトライブラリー

春本(しゅんぽん)や小咄(こばなし)、川柳(せんりゅう)では、奥女中は男に飢え、好色だったというのが定番である。もちろん、これは男の読者に受ける設定であり、奥女中がみな淫乱だったわけではない。だが、女だけの特殊な世界だったことに違いはない。『耳袋』に、つぎのような話が出ている。

寛政7年(1795)の冬、豊前小倉(福岡県北九州市)藩小笠原家の藩邸で、ひとりの奥女中が忽然と姿を消した。その女は藩邸でも一、二を争う美人だった。屋敷の表門や裏門から外に出た形跡はない。屋敷内をいろいろさがしたが、その姿は見当たらなかった。女の実家に問い合わせたが、戻った様子はなかった。
「きっと、男に誘い出され、ひそかに駆け落ちしたのであろう」
みなはそう噂した。女が姿を消して20日ほどたったころ。朋輩の奥女中が便所から出て手水(ちょうず)を使おうとしたところ、その手水鉢に下から白い手がのびてきて、貝殻で水をすくおうとしている。それを見た途端、
「きゃー」
と叫ぶや、奥女中はその場に気絶してしまった。悲鳴を聞き、ほかの奥女中たちが駆けつけた。見ると、怪しい人影が縁の下にもぐりこもうとしている。大勢で寄ってたかって取り押さえた。なんと、行方不明になっている奥女中だった。
「いったい、いままでどこにいたのですか」
みなで口々に尋ねたが、女は返事もしない。その後、飲み物などをあたえ落ち着かせて質問すると、ポツリポツリと答え始めた。
「わたしはよきよすががあり、縁付きました。いまは夫のある身です」
「どこに住んでいるのですか」
そう問うと、答えは要領を得ない。手を変え品を変え尋ねると、女はようやく言った。
「では、わたしの家にご案内しましょう」
縁の下にもぐりこんでいく。あとから、数人の奥女中が続いた。
かなり奥にはいり込んだところに茣蓙(ござ)が敷いてあり、古びた茶碗などが置かれていた。これまで、屋敷の台所から食べ物を盗んでいたことをうかがわせた。
「ここが、わたくしの住まいでございます」
「では、夫は誰ですか」
「かねて話した通りの男です」
そう答えるだけで、名前も言わない。けっきょく、女は乱心しているに違いないとして、実家に連絡して親に引き取らせた。親は娘を医者に診せ、薬を飲ませるなどしたが、しばらくして死んでしまった。

不気味な話である。江戸城の大奥と同様、大名屋敷の奥も女だけの世界だった。同性だけの特殊社会だけに、陰湿ないじめや意地悪も多かったであろう。強度のストレスから精神に異常をきたしたのかもしれない。それにしても、「夫を持った」と信じているのが哀れである。もし自然な男と女の関係があれば、こういう精神異常は起きなかったのではなかろうか。