イラスト/フォトライブラリー

犬に睾丸(こうがん)を噛まれた有名人に勝海舟がいる。天保2年(1831)、九歳の海舟は学問の稽古にかよう途中、野良犬に襲われて局部を噛まれた。発見した人が犬を追い払い、海舟を屋敷に運び込んだが、父親の勝小吉が前をまくって傷口を見ると、陰嚢(いんのう)が破れて睾丸が落ちかかっていたという。外科医が傷口を針と糸で傷口を縫って治療し、およそ70日後に全快した。

勝海舟には回顧談もふくめて多数の著作があるが、自分の睾丸については一言もふれていない。睾丸事件が記されているのは、父親の勝小吉の自伝『夢酔独言』である。

なお、俗説に「勝海舟は片キンだった」がある。睾丸を犬に噛まれたという話が発展して片キンになったのであろうが、まったくの虚説である。『夢酔独言』にもそんなことはいっさい書かれていない。片キンどころか、勝海舟は精力絶倫だった。晩年は妻のほかに女中数人を屋敷に置いていたが、その女中すべてに手を付けた。いわゆる妻妾同居を享楽していた。長崎に単身赴任していたときには現地妻に子供を産ませている。勝海舟は明治維新の偉人とされ、その功績のみが強調されるが、その女関係の実態はかなり奔放だった。

こうして、勝海舟は睾丸を噛まれても見事に全快し、長じては精力絶倫になったわけだが、『藤岡屋日記』には悲劇が記されている。

嘉永5年(1852)6月24日、御蔵前代地の札差が飯炊きの下男を使いに出した。下男は途中で、生まれて間もない子犬を見かけた。たまたま母犬はいない。思わず下男は、
「おお、かわいいのう」
と、しゃがんで子犬の頭をなでた。そこに母犬が戻ってきた。母犬は子供をとられると思ったのか、後ろからいきなり下男の尻に噛み付いた。
「ギャー!」
下男は悶絶する。大騒ぎになり、近所の人々が下男をかついで医師のもとに連れて行ったが、睾丸を噛まれており、途中で死亡した。人々は「これこそ犬死だ」と言い合った。

これは当時の服装だからこそおきた事故といえよう。現代の日本人の男はたいてい下着のパンツをはき、さらにズボンをはいている。背後から犬に尻を噛まれても、睾丸を牙で直撃されることはまずない。ところが、江戸時代の男の下着はふんどしであり、しかも下男など肉体労働に従事する者は動きやすいよう、たいてい着物を尻っ端折りしていた。かがむと、木綿の布一枚に包まれただけの睾丸が垂れ下がっていた。犬が背後から睾丸をガブリとやるのは充分に可能だった。勝海舟の場合は武士の子弟だけに袴をつけていた。そのぶん、犬の牙の直撃を免れたのであろう。