勤番武士の楽しみは囲碁・将棋、貸本だった。

参勤交代制度により、諸大名は江戸と自らの藩とを1年交替で生活することが義務づけられたが、江戸屋敷で生活したのは大名とその家族だけではない。殿様を守るため、大勢の家臣が屋敷内に設けられた長屋で窮屈な生活を送っていた。屋敷内に住む家臣たちは2つに分けられる。江戸屋敷に定住する者(江戸定府/えどじょうふ)。殿様が江戸在府中のときだけ、国元から出て来て居住する者(江戸勤番/えどきんばん)。江戸定府よりも勤番武士の方が圧倒的に多い。

定府の者と違い、勤番武士は1年間の単身赴任。その仕事は、主に殿様が登城する時の供廻り(ともまわり)を勤めることだった。勤番武士はお上りさんのような者であるため、江戸の事情にはうとかった。そのため、屋敷外で喧嘩などのトラブルを引き起こすことも多かった。だが、市中の評判となり表沙汰になると、殿様の名前に傷がつく。藩当局は対応に頭を悩ますが、結局のところは、外出制限を厳しくするしかなかった。

勤番武士の外出は、月数回に制限された。頻繁に外出させると、江戸の悪風に染まって、身持ちを崩したり散財することを恐れたからだが、芝居と吉原見物が江戸の通過儀礼となっていたのも事実。おのぼりさんであるため、観光気分が味わえる江戸見物も大きな楽しみだった。私用では屋敷の外に出ることが許されなかった勤番武士としては、数少ない外出日は制限時間いっぱいまで使いたいところである。門限は暮れ六つ(午後6時)。吉原通いと言っても、昼間に出かけたわけである。

門限に間に合わないとどうなるのか。国元に強制送還となり、長きにわたり謹慎に処せられたが、実際はお目こぼしもあった。門番に袖の下を使ったのである。寄宿生のような生活を送った勤番武士は、食事や風呂はどうしていたのか。食事は自分で用意しなければならず、各々自炊したり、外食している。風呂については、屋敷内に共同浴場があったが、外の銭湯に出かける者が多かった。格好の外出の口実になるからだろう。

勤番武士の長屋は、それ自体、江戸屋敷の壁のような形で配置された。道路に面しており、格子窓も付いていた。なかなか窮屈な室内生活を余儀なくされた勤番武士の楽しみは囲碁・将棋、そして貸本を読みふけることだった。そのため、貸本屋が屋敷内に出入りしていた。貸本屋が持ってくる本の種類は、軍記ものや滝沢馬琴(たきざわばきん)の小説、江戸の恋愛小説ものである人情本、遊廓を舞台にした洒落本、春画(しゅんが)が多かった。このような種類の本や錦絵は武士の体面もあり外で立ち読みすることはできない。つまり、こうした出入りの者たちも、勤番武士にはなくてはならない存在だった。

文・安藤優一郎(歴史家)