広島カープ、セ・リーグ優勝にあったサイドストーリー。
 低迷期を伝え続けた広島の出版社「サンフィールド」は、キャンプ取材の資金繰りにも困るほどだった。そのとき、ひとりの男が手を差し伸べる。
 広島カープの初優勝に選手として貢献し、その後監督としてもカープを見守り続けた三村敏之(故人)だ。
 「『低迷期のカープ』を伝え続けた地元出版社とそれを支えた故・三村敏之の教え」に続く、後編。

■「雲の上の人からたらされた「蜘蛛の糸」」

 2003年に創刊した『広島アスリートマガジン』は、スタートから厳しい局面に立たされていた。球界再編問題、プロ野球人気の低迷、カープの不振、地方出版社ならではの販路の獲得……。なにより苦しかったのが資金繰りである。

 そんな状況にあっても「現場に行って野球を見ることが大事。人の話を聞くことが大事」と、編集部に「現場へ行くこと」の重要性を説いたのが、カープで監督を務めた三村敏之(故人)であった。『広島アスリートマガジン』を発行するサンフィールド社の社長である三戸は三村氏と同じ広島商業高校野球部OBで、「雲の上の存在」である。そんな人からの言葉は何より重かった。

 三戸はこう述懐する。
「三村さんの凄さは「雲の上にある」ことではなく、「雲から下りてくる」人柄と行動力。連日のように編集部に顔を出してくれ、野球の話をしてくれ、社員にお好み焼きを振る舞ってくれることも頻繁にあった。そして野球の試合が始まると、試合のポイントや考え方をいろいろと教えてくれたのです」

 この時間は、編集部員たちの血となり肉となっていく。三村が助けてくれたのはこうした「野球の見方」だけではなかった。創刊当時、沖縄・日南キャンプの時期は編集部にとって大きな問題だった。取材は必要だが、旅費がネックとなる。当時の編集部では金額の負担も大きいものだった。三戸が頭を悩ませているとき、手を差し伸べてくれたのはやはり三村だった。

「私の車でキャンプに行くから、同乗してはどうか」

 とうとう三村は編集部員を乗せ、キャンプ地の日南へと車を走らせたのだ。
 それだけではない。沖縄キャンプの際も、編集部員は三村の紹介で、知人のお寺に宿泊させてもらった。筆者も同行したことがあるが、朝から夜まで寝食を共にし、野球から人生に至るまで様々な話を聞くことができるし、三村と同行するからこそ見られる現場もあった。
 野球を伝える人間にとって最高の“合宿”のようなものだった。三戸にはこんな思い出がある。

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