◆苦労は、「ただ苦労をするだけ」では何の値打ちもない

 日本シリーズもたけなわ。選手たちは、まさにこの日のために1年間、戦ってきたはずだ。もっと言えば、この日のために野球に打ち込んできたとも言えるだろう。
 頂上決戦は一見、華やかだが、そこに至るまでの選手たちのプロセスはまさに十人十色だ。
 日本シリーズを少し違った角度から観るために、ノムさんこと野村克也元監督の本を紐解いてみた。
 
 ────私はこれまで「苦労」をキーワードにしながら、努力の大切さを事あるごとに語ってきた。
 ただし誤解してほしくないことがある。それは苦労は、「ただ苦労をした」というだけでは何の値打ちもないということだ。
「俺は幼いころ、家が貧乏でこんなに苦労をしてきた」
「これからというときに左遷にあって、会社で大変な苦労をした」
「上司は私の苦労も理解せず、わかろうともしてくれない」
 こうした苦労話を得々と話されたとしても、聞かされる側としては「それは大変でしたね」としか言いようがないだろう。
 同情はできるかもしれないが、そこから学べるものは何もない。
 大切なのは「苦労をすること」ではない。
「苦労を経験したこと」をきっかけとして、そこから自分が何を感じ、どう考え、どんな行動を起こしたかが問われるのである。
 私が楽天の監督時代、ルーキーの田中を何度も2軍に落とそうかどうか迷ったのも、苦労を経験させることによって、より深く感じ、考え、行動できる選手になってほしかったからだ。
「自分がどんなに苦労をしてきたか」、「どれほど不遇な人生を送ってきたか」といったことを強調するばかりで、不遇な状況から抜け出すための努力を怠っている人のことを、私たちは「苦労人」とは呼ばない。
 野球選手の中でも、2軍生活が長かったために苦労人と呼ばれている選手がいる。しかし彼らは下積みのときには「苦労している」ということを自ら意識することすらなく、コツコツと努力を続けていたはずである。
 その結果努力が実を結び1軍で活躍できたときに、初めて周りの人が「あの人は苦労人だね」と認めてくれるのである。
 逆にいくら2軍で不遇な選手生活を送っていたとしても、何の努力もしないままくすぶっている選手については、苦労人とは呼ばれない。苦労は努力に昇華できてこそ初めて価値を持ち、周りからも認められるのである。

 

◆正し努力をするためには
 己を知ることが大切だ

『論語』に次のような言葉がある。
「子曰わく、位無きを患えず、立つ所以を患う。己を知ること莫きを患えず、知らるべきを為すを求む」

 私なりに訳すと「自分が官位を与えられていないことを嘆いてはいけない。それよりも自分が官位を与えられるに適した資質があるかどうかを心配しなさい。また自分のことを認めてくれる人がいないことを憂えてはいけない。それよりも人に認めてもらえるだけのことができているかどうかを心配しなさい」 といった意味である。
 まったくその通りである。「自分は認められていない、期待されていない、不遇である」と嘆くよりも、「自分は本当に評価を受けるに値する力があるのだろうか」ということに意識を向け、認めてもらえる努力をすることが大切なのだ。
 そうした努力を続けることで一流になった選手のひとりに、宮本慎也がいる。宮本は私がヤクルトの監督を務めていた1995年に入団してきた。当時の宮本は守備については新人離れしたものを持っていたが、打つほうはからきしダメだった。
 そこで私は彼のことを「守り専門」という意味で「ヤクルトの自衛隊」と呼んでいたぐらいである。それが引退するときには、名選手の証である2000本安打を放つぐらいにまで成長したのだから、感慨深いものがある。
 彼は若いときから練習の虫だった。同期入団の稲葉篤紀とともに、いつも誰よりも早く神宮の室内練習場に来てバットを振っていた。また試合が終わったあともふたりで居残り練習を続けていた。

 そんな宮本が、後日私に次のように語ってくれたことがある。
「監督さんにどうしたら使ってもらえるか、そればかりを考えていました。プロに入った以上は、試合に出られなければ意味がありません。監督さんに『使いたい』と思ってもらえるような選手になることが大事で、それまでの自分は捨てて練習をしていました」
 まさに宮本は前出した『論語』の句どおりのことを考え、実践していたのである。
 そして、正しい努力を重ねてきた人間は、現役を退いてからも、その努力が生きるものだ。

『凡人の強み』野村克也/KKベストセラーズより