今では料理をする男性も、自作の弁当を職場に持ってくる男性も珍しくなくなりました。もうお袋の味=肉じゃがと連想する時代は、もう過去のものになりつつあるのかもしれません。
祖母、母、子、3世代にわたる料理一家に育った、料理研究家きじま氏の目に家庭料理の「今」はどのように映っているのでしょうか。

  皆様は料理研究家という職業をご存知だろうか。一昔前に比べると多少一般的になった気もするが、誤解されることも多い。異論もあるだろうが、いち料理研究家の私感として、料理研究家とは「対象となる方にとって作りやすい『料理の作り方』を提案する仕事」と考えている。故によく混同される、料理評論家=料理(特に外食産業)を評論する、シェフ・料理人=主に外食産業に従事しお客さんに料理を直接提供する、フードコーディネーター=テレビや雑誌などのメディア上で視覚的な料理を製作する、などとはまた別の職業と私は考えている。(ただ、シェフで家庭での作りやすい料理法を紹介している方もいらっしゃるし、フードコーディネーターの肩書で料理研究家と同じ活動をしている方もいらっしゃるので、境界は曖昧ではあるが。)

 現在33歳男性の私が料理研究家になった理由は色々とあるが、祖母と母が同業であることが一番の要因であることは間違いない。

 祖母は村上昭子といい、既に亡くなって10年近いのだが、料理研究家として家庭料理を伝える者としてはかなり初期の世代にあたるのでは無いかと思う。もともと割と大きい呉服屋の四女として昭和2年に生まれた彼女は、幼い頃から自然と「まかない料理」を作るようになったようだ。

 結婚した後のあるとき、ふとした縁で「料理上手のお母さん」としてメディアに取り上げられるようになった。当時の日本では、各種メディアの発達もあり、テレビや主婦雑誌などメディア上で料理のレシピが一般的に伝えられるようになった。文献を見ると、その主役はホテルなどのシェフが中心で、それまで日本では知られていなかった西洋料理を紹介した。

 当時の西洋料理は、高タンパク高カロリーという意味での栄養も高く、なにより富の象徴としての憧れの形であった。こんな料理も家で作れる、ということで紹介されたわけだが、そのカウンターとして、昔ながらの日本の料理=おふくろの味を紹介する人材として祖母のような料理研究家が登場した。以前は母から娘へ伝えられていた料理の作り方を、メディアを通して伝えるという新しい時代が始まった。それを後押ししたのは家族の健康を思う母としての気持ちだったり、懐かしい味を食べたいと思う希望だったのだろう。

 祖母の娘として生まれたのが母・杵島直美である。昭和29年生まれ。女性の大学進学・就職が一般的になった世代である。夫婦共働きも普通になったその時代、求められたのは短時間で無理なく作れる家庭の味だった。