厳しい戦いが続くサッカー日本代表。
 批判のなかには、過去の代表と比較するメディアもある。そのなかでもっとも希望的に語られるのは「オシム時代」であろう。
 健康面の問題で退任を余儀なくされたオシム氏ではあるが、いまだに選手、サポーターから支持は厚く、また、オシム氏自身も日本サッカーへの興味を失わない。先ごろ発売され話題を呼んでいるオシム氏の新刊『急いてはいけない』はそのことを裏付ける。阿部勇樹、中村憲剛、佐藤勇人ら現役選手やサポーターなどが氏に質問を投げかけ、それにオシム氏が答える形をとるという構成をとった本書は、お互いがサッカーを通して前進していきたい、という思いに溢れている。
 そして本書の中でオシムが再三指摘するのが、サッカーのスピード化であり、走ることの意味であり、サッカースタイルという哲学であった。
 今回は、サッカースタイルという哲学のなかで「スピード」と「ポゼッション」がどういう関係でありうるべきなのか。そしてオシムはそれをどう捉えていたのかについて、オシム氏を取材し続け、「急いてはいけない」を翻訳したサッカージャーナリストの田村修一氏に寄稿してもらった。
 

■ポゼッションとスピードは反比例するのか

 スピードかポゼッションか。あるいはスピードとポゼッションなのか。
 もちろんポゼッションスタイルにもスピードは必要だ。いくらボールをキープしても、プレーにスピードがなければ相手に容易に守られてしまう。ブラジルワールドカップの日本対ギリシャ戦がそうであったように、ポゼッションのためのポゼッションではボールを持つ意味がない。

 とはいえポゼッションスタイルのスピードは、あくまでプレーの加速化であり、ロングボールをも含むタテの速さ、深さ――プロフォンダー、フランス語ではプロフォンドゥール――ではない。

 ピッチをタテに使うかヨコに使うか。スピードとポゼッションは互いに相反するもの、両者をグラフの縦軸と横軸にとったときに、反比例するものとしてこれまで捉えられてきた。
 スピードが増せばポゼッションは弱まり、ポゼッションが高まればスピードは失われる。かつてはポゼッションだけに特化したチーム――カルロス・バルデラマ時代のコロンビア代表――や、カウンターに特化したチーム――ブーヤディン・ボスコフのサンプドリアがそうで、ビアリ、マンチーニ、ロンバルトらスピード豊かな選手たちがカウンターアタックを芸術的なまでに洗練させた――が存在したように、それはある意味において事実でもあった。ヨコに速く使うという概念が顕著になったのは、90年代半ば以降である。

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