『カニバル星人』『ダイナミック・ヴィーナス』といった異色アニメ作品で、ニューヨーク、スイス、オランダなど、数々の映画祭に入選。
気鋭の映像作家がそこにたどりつくまでの経緯、そして「9.11」「3.11」という2つの大きな出来事が、映像作品にどのような影響をあたえたのかについてを語っていただきました。

 かなり漠然と、海外で評価される映像作品を作りたいと思っていました。単に「愛される」でも構わないのですが、ビジネスとか難しいことはいわず、まずは理解や共感されるかどうかの作品。

 個人的にハリウッドやニューヨークのアメリカ映画、バットマンといったアメコミや、洋楽などの欧米文化がしっくりくるタイプなので、そんな自分の資質を海外で試してみたいと思ったのです。ある程度の予算を組んだあと、以下のことを考えました。

 一般的に日本人が海外で云々、と考えた時にざっくりと二つのやり方があるのかなと

A日本の特産を売りにする。

B海外にあるものにこちらが参入する。

 例を挙げると、Aは忍者とか寿司とかクールジャパンもので、アドバンテージが高くビジネスをする上では手堅いかもですが、ステレオタイプに陥りがちですし一発芸的でもあります。

 Bは、日本車とかかつてのメイドインジャパンの電化製品、人でいったらイチロー氏のような感じでしょうか。勝てば物凄いことになりますが、現地に既にあるものに挑むわけですから当然ハードルが高い。また、物真似みたいなものを作っても「それ間に合ってるよ」で終わってしまう可能性もあります。自分の特性としては明らかにBの方が向いてるのですが、ただ闇雲にやればいいとも思えません。

 そこで北米を中心にいくつか海外の映画祭を視察することにしました。2007年くらいだったかと思いますが、当時映画祭をあちこち回って理解したのは広い範囲で「9.11以降」というムーブメントが起きていたということです。

 メジャー、インディーズ総出で、あの2001年のNYテロ以降の怒り、悲しみ、疑心、恐怖などの「心情」を具体的、比喩的に描いたものを多数制作していました。

 あの事件そのものを描いた作品もいくつかありましたが、自分の見た限りアメリカ社会についてのドキュメントや、実際のテロの断片を再現するホラーやSFなどの方が際立っていたという印象です。

 どちらかというとテロ憎しというより「我々は今どこにいて、今何が起きているか」を自問自答する、内省的な「問題提起型作品」が多く、暗く風刺的でハードな表現のものが、ほとんどでした。実際に起きた悲劇や恐怖を、創作物という「安全な位置」から鑑賞(追体験)することで、逆に「安心したい」という衝動が働いていたのかもしれません。ある種の芸術療法、ともいえるでしょうか。あるいは多種多様な意見を持つ人が集まる多民族国家ではそれしか表現の道がなかったのかもしれません。

 ある都市で行われていた映画祭では、学生達が道の真ん中でブッシュ元大統領の人形を蹴りまくってて、道行く人に「お前はブッシュが好きか!そうでないならこの人形を蹴るんだ!」とかやってたり(笑)、そうかと思うと保守系のメジャーTV局では、ニュース番組で報復論を煽り、リテラシー無用で左派的なマイケル・ムーアをコキおろしたりしていました。中心地のアメリカ程でないにせよカナダやヨーロッパでもそう言った雰囲気があり、テロから数年経ちイラク戦争も激化する中、当時の西側諸国の人達は自分たちが被害者なのか加害者なのかとても混乱していたのでしょう。

 インディーズも含めて数は膨大でしたが、代表的な作品を挙げると「華氏911」「クローバーフィールド」「ミスト」「バトルスター・ギャラクティカ(TV)」「ダークナイト」等々がこのカテゴリーに入ると思います。

 もちろん、それらの作品は日本でも公開されていましたが、「9.11以降」というくくりであつかわれたのではなく、単発での紹介だったため、その雰囲気くらいしか伝わらず、それほどヒットはしませんでした。

 例えるならAKBの女の子を海外で売り出すのに、一人一人を単発で紹介したために、それがグループとしてので活動が中心であることが明確に伝わらなかった、といった感じでしょうか。そもそもあのテロ事件や、その後の世界の変容自体が日本人にとって、対岸の火事にすぎなかったという面もあります。ともあれ「9.11以降」に関して、日本と海外では強い温度差があると感じたわけです。