岐阜在中の歴史作家・鈴木輝一郎がゆるりとめぐる、戦国武将の史跡。
つい見落としてしまいがちな渋い史跡の数々を自らの足で訪ね、
一つ一つねぶるように味わい倒すルポルタージュ・ブログシリーズ開幕!


信長、家康、清正……エピソード満載の万松寺!


徳川家康は誘拐されたことがあります。

家康の実父、三河岡崎城主・松平広忠は織田と今川の大国ふたつに挟まれたうえ家臣団にも裏切られることがしばしば。家臣団の裏切りで岡崎城から追放されたこともあります。家康は苦労人の家系なんですな。

家康が駿府の今川義元のもとで人質生活を送っていたのはよく知られている通りですが、
その前に織田信秀に誘拐され、3年間ほど尾張で拉致監禁されていました。
 
ただまあ、天文18年(1549)、人質交換によって駿府に移送されるまで監禁されていたのがこの万松寺なんですね。

 
 



ちなみに境内には由緒ある寺院の例に漏れず、稲荷さんやお不動さんやお地蔵さんがあります。
 
このうち、お不動さんは「身代わり不動明王」と呼ばれています。名付けたのは加藤清正。
なんか、登場人物がどれもメジャーなところが、さすが戦国。
 

 
 



「身代わり不動」の名前の由来は、織田信長が越前朝倉攻めから一時退却したとき、千種峠で狙撃された。
そのときの銃弾は、信長の懐中にあった餅に命中して信長は無事だった。
──って話をずいぶん後になって聞いた加藤清正が
「おおそれはその餅が信長公の身代わりになったのだな。なんと縁起がいいことだ」と感銘し、
この不動明王を「身代わり不動」と名付けたとのこと。
 
これ、ものすげえまぎらわしいんですが、
「信長が狙撃された」「餅が銃弾をさえぎった」から、「ここの不動明王を『身代わり不動と呼ぼう』」ってことまでの間に、論理が全力で飛躍してます。
まあ、あからさまに言ってしまえば、別に身代わり不動と呼ばなくていいわけなんですが、そこはホレ、名付けたのが加藤清正だから、ま、いいかと。
 




 
〈了〉