第28回 
理屈による説得は難しい


仮説は他者には効かない

 目標に向かって前進するためには、正しいだろうと思える方針(仮説)を構築し、まずはそれを信じて進むしかない、という話をしてきた。別の言葉で言えば、これが「自分を信じる」という意味だ。
 小さな成功を手に入れたとき、やり方は間違っていなかった、仮説は正しかったのだ、と自信を持てるようになる。一時の楽観ではある。
 喜ぶのは早い。二つの落とし穴を指摘しておこう。
 一つは、そこまでは良かったかもしれないが、その先も同じ仮説で通用する保障はない、ということ。仮説の確からしさが部分的に証明されたにすぎない。また、常に条件は変化しているのだから、同じ仮説のままでこの先も良いのか、と吟味する必要があるだろう。
 たまたま、別の要因で成功した可能性もある。極端な例だが、ある占いを信じて買った馬券が当たったからといって、その占いが正しいとはいえない。仮説には理屈が必要であり、当然ながら、その理屈は科学的でなければならない。
 もう一つの落とし穴は、成功したからといって、その仮説によって他者を説得できる、と考えるのは間違いだ、ということ。
 人間というのは、自分の仮説は信じても、外部から押しつけられた仮説には基本的に懐疑的である。理屈よりも結果を注目する。つまり、成功したという現象を見て、仮説に興味を持つ、というだけである。
 自分の仮説を他者に押しつけ、この方法でいける、と後押しするのには慎重になった方が賢明だ。

 

理屈よりも結果という現実

 たとえば、学校の先生とか、あるいは両親とかが、人間はこうあるべきだ、という教訓を語ったとしよう。これは理屈だ。理屈は、応用範囲が広いけれど、多分に抽象的である。それに比べると、友達が楽しいことをしている、あるいは、見かけが格好良いアイドルがいる、などは、結果を見せられている。理屈ではない。子供や若者たちは、どちらに魅力を感じるだろうか?
 今、これをすれば来年にはこんな良いことがある、というのが人生の抽象的方針だが、それよりも、目の前にあるケーキに手を出してしまうのが子供だろう。結果は、方針よりも常に具体的であり、直接的に人の心を揺さぶる。これこそが、「現実」という落とし穴である。
 この落とし穴に嵌(はま)らずに生きるためには、どうしたら良いだろうか?
 理屈を信じるには、何が必要だろう。少し考えてもらいたい。幾つか方法はある。まず、理屈を信じて結果を得る経験、その喜びを実際に体感して、理屈の強さを自身で味わうこと。失敗から学ぶという言葉はあるけれど、それよりも、小さな成功から学ぶ方が、順当な道だと思われる。ただ、そこで思い上がらないことが大切だ。
 この逆で、理屈を信じなかったために陥った失敗を糧にする方法もあるけれど、できれば避けたい道である。誰だって、失敗は辛い。それが人情というものだろう。
 単純なスポーツだって駆け引きがある。人間の社会は複雑だ。結局、目の前のケーキに手を出してしまう人たちから搾取する構造が、今の社会の基本的仕組みなのだ。これは、非常に明確な道理のひとつである。
 まずは、搾取されないこと、あるいは、搾取されていることに気づく自覚が大切で、それだけでも、道はずいぶん歩きやすくなるだろう。
 理屈というのは、人間が持てる最大の武器なのだ。理屈を作ることが知性である。どうすれば良いか、と考え続け、工夫を怠らない。そうすることで、自分が生きやすい道がしだいに整備されていく。
 繰り返すが、大事なのは、他者の理屈ではなく、自分の理屈によって進むことである。
 誰にでも通用する理屈というのは、数学や物理学だけだと思って間違いない。そう僕は感じている。それほど、人間社会の中で、個人を活かしたり、個人を駄目にしたりする理屈というものは、千差万別だ。
 ここに書いてあることだって、あまり信じない方が良い。役に立ちそうなところだけ、軽く掬(すく)い取って自分のために活用しよう。

 

冬は工作と実験

 そろそろ寒くなってきた。秋は庭園内の落葉掃除に明け暮れるのだが、そのうち雪が積もってできなくなる。こうなると、春まで中断せざるをえない。
 そのかわり、暖かい工作室で、毎日金属を切ったり、削ったり、また、なにかを測定したり、試したり、といった活動になる。
 一年の半分は、そんな屋内活動を楽しむ。冬の研究成果を活かせる春が、今から待ち遠しい。

毎朝の散歩道。もちろん氷点下。既に畑は終わっているので、この時期はここでラジコン飛行機も飛ばせる。