Q.19年前の最下位で「投手・山本昌」に変化は起きましたか?

 19年前の1997年と言えば、ホームグラウンドがナゴヤ球場からナゴヤドームに移った年でした。それまでの中日は、打撃のチームというほどではなかったにせよ、例えば優勝した88年で言えば、星野仙一監督が選手を鼓舞し、チーム全体が「負ける気がしない」といった勢いがありました。

 しかし、ナゴヤドーム元年にはその姿が鳴りを潜めました。当然と言えば当然なのかもしれません。ナゴヤ球場が両翼91.5メートル、センター119メートルだったのに対し、ナゴヤドームは両翼100メートル、センター122メートルと格段に広くなりました。野手は特に、それまで打てていたホームランが打てなくなった。「こんなはずじゃないのに……」とショックを受けた選手も少なくなかったはずです。そういったネガティブな感情があると、チームは力を発揮できません。リーグワーストのチーム打率2割4分3厘が如実に物語っていました。

 その一方で、リーグ5位のチーム防御率4.33ながら、投手陣は比較的ポジティブだったように思います。

 私自身がそうでした。ナゴヤ球場では「あれがスタンドに入っちゃうの?」と思っていた打球が多かった。だから「低めに投げないと打たれる」と細心の注意を払い投げていたものですが、それはそれで私を成長させてくれたのは事実です。それが、ナゴヤドームではオーバーフェンスしなくなった。ですから、私は「こんなに広い球場でホームランを打たれたら仕方ない」と、開き直って投げることができたのです。その甲斐あってか、97年は18勝を挙げ最多勝投手になることができ、さらには奪三振王にもなりました。