イラスト/フォトライブラリー

『酒井伴四郎の日記』として知られる史料がある。和歌山(紀州)藩の下級藩士、酒井伴四郎が万延元年(一八六〇)に江戸詰となり、五月二十九日の江戸到着以来、およそ半年間の四谷の藩邸暮らしを克明に記した日記である。このとき、酒井伴四郎、二十八歳。日記のなかに食事の記録、とくに外食や買い食いについての記述が多数あることから、幕末期の江戸の食生活を示す資料として用いられることが多い。ところが、性の見世物に関する記述もあり、当時の江戸の性文化がわかる。以下に紹介するが、原文のままではわかりにくいので、筆者が現代語訳するとともに適宜、補記した。

七月十六日

五人連れで藩邸を出て、いんきん田虫の療治に出かけた。いんきん田虫は内股や睾丸に発生する皮膚病で、かゆみがひどい。藩邸内の長屋で共同生活をしているため、五人とも感染してしまったのであろう。まず上野の手前で餅を食い、さらに浅草で蕎麦を食った。浅草広小路の医師にいんきん田虫の療治をしてもらったあと、みなで浅草寺に参詣し、お化けの見世物を見物した。その後、芋や蛸の甘煮を肴に酒を呑み、連れ立って吉原に行き、花魁道中を見物した。屋台店で西瓜をひときれ食ったあと、両国に行き、みなで見世物小屋にはいった。おこなわれていたショーは「おめこのさね」(女性器のことには違いないが、部位の詳細は不明)で、俵や半鐘を釣り上げるというものだった。さらに、二十歳くらいの女が陰部をあらわにし、ひとりの男が張形(はりがた/男性器の形をした玩具)を挿入すると、女があえぎながら腰を使う出し物もあった。

こんな露骨なショーが堂々とおこなわれていたのである。伴四郎は、「いずれも面白し」と、感想を記している。男五人が息を呑み、目を凝らして一点をながめている姿が想像できる。さて、春本『開談遊仙伝』(歌川貞重、文政十一年)に、性の見世物を描いた春画がある――。小屋のなかに高い椅子状のものをこしらえ、そこに坐った女が着物と腰巻をまくり、大股びらきをして、陰部をむき出しにしている。男が火吹き竹のようなものを口に当て、ふっと息を吹いて陰部にあてるという遊びである。女は巧みに腰を動かして直撃を避けながら、「それ、もっと、きつうくお吹きよ。エエ、上だよ、上だよ。アレサ、下を、下を」と、客をあおる。大勢の男たちがニヤニヤしながら、その様子をながめている。

この絵を見たとき、筆者はいくらなんでも春画の誇張であろうと思った。しかし、『酒井伴四郎の日記』に記されている内容と照らすと、このような性の見世物が江戸の盛り場で演じられていたのは間違いないようだ。その野放図さは現代以上かもしれない。